德田秀久(とくだ・ひでひさ)は昭和35年4月生まれ、神奈川県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第27期の卒業で64幹候、出身職種は機甲科だ。
平成30年8月(2018年8月) 陸上自衛隊富士学校長兼富士駐屯地司令・陸将のポストを最後に退役することが決まった。
前職は第5旅団長であった。
(画像提供:陸上自衛隊富士学校公式Webサイト)
【以下、2018年8月1日加筆】
2018年3月に実施された、陸自大改革。
その大改革を中心になって支え、歴史的な大仕事を成し遂げた男がまた一人、陸上自衛隊を去ることになった。
発令日は2018年8月1日。
すなわち、この記事をポストしている当日である。
2018年春に実施された陸自の大改革で大きな目玉となったのは、各地に所在する師団や旅団の機動師団(機動旅団)化への着手だった。
機動師団(機動旅団)とはすなわち、軽武装で機動力を重視した初期戦力を、任意の場所に迅速に投入できる新しい防衛構想の、槍の穂先となる部隊である。
主力戦車は16式機動戦闘車にリプレイスされ、普通科と機甲科、それに野戦特科も装備の換装が進み、同じ進軍速度で戦地に到達できる部隊へと再編された。
すなわち機動師団(機動旅団)化とは、戦闘部隊の常時諸職種混成化を意味する改革でもあったということだ。
限られた防衛予算の中で、全体数で戦力の削減を余儀なくされながらも戦力を維持向上させるためには、戦力の集中と機動力の向上以外に方法はない。
そしてそれを支える存在こそ、諸職種混成の部隊であるが、陸上自衛隊富士学校はまさに、この普通科、機甲科、野戦特科の協働を研究するための組織であり、訓練を積むための聖地である。
2018年3月には、富士学校内に諸職種協同センターも新編され、その機能がますます強化された。
そしてこれらの大仕事を全てやり遂げたのが、2015年12月から2年半に渡り、富士学校長を務めた徳田であった。
今後、この新しくなった富士学校がどれほどに、我が国の平和と安全を中核となって支えて行くであろう組織になるか。
それは、徳田の後任である学校長人事、すなわち髙田祐一(第30期)の着任を見ても明らかとなっている。
富士学校長のポストはこれまで、非常に重要なポストではあったが、あらゆることを俯瞰的に見られる、ベテラン陸将が着任するべきポジションであった。
別の言い方をすれば、退職前のポストであったと言って良い。
しかし高田は、30期組の絶対エースであり、おそらく現・陸上幕僚長である山崎幸二(第27期)の、次の次の陸幕長に着任するだろう。
それはすなわち、富士学校長というポストが、近い将来に全軍を統括するであろう陸将にとって通過しておくべきポジションへと扱いが変わったことを意味する。
裏を返せば、徳田の成し遂げた大改革とはそれほどまでに大仕事であったということだ。
富士学校は今後、陸上自衛隊の戦闘思想そのものを具体化する組織になってゆくだろう。
そのような大仕事を最後に成し遂げた上での、2018年8月の徳田の退役であった。
大変な仕事ではあったが、おそらく今、徳田の胸に去来するのは、大きな仕事をやり遂げたという満足感と達成感ではないだろうか。
35年もの長きに渡った陸上自衛官生活であったが、その崇高で誇り高い人生に、心からの敬意と感謝をお送りして、徳田の退役をお見送りしたい。
本当に長い間、お疲れ様でした。
本当に、ありがとうございました。
徳田陸将の第二の人生も素晴らしいものとなりますことを、心からお祈り申し上げております。
【以下、2018年4月29日までの過去記事】
2018年4月現在、富士学校長兼富士駐屯地司令を務める德田だ。
富士学校は普通科、機甲科、それに野戦特科が協働で任務を遂行するための教育及び訓練を行うための学校であり、富士総火演(総合火力演習)を担当することでも知られる。
そのため、陸将である校長の下にはそれぞれ、普通科部長、機甲科部長、特科部長の陸将補職が設置され、更に副校長職にも将補が配置されており、我が国の陸戦部隊の中枢として実戦能力を磨く役割を担っている。
陸将であり、このように極めて重要なポストに補職をされるような德田だ。
そのキャリアはどれも特筆するものばかりだが、全体としていかにも機甲科の鬼らしい補職を歴任してきたキャリアに溢れている。
ひとつひとつ、詳細に見ていきたい。
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