角南良児は昭和35年7月17日生まれ、岡山県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第27期の卒業で幹候64期、出身職種は普通科だ。
平成29年12月20日(2017年12月20日) 第37代第3師団長・陸将のポストを最後に退役。
なお、勇退ポストである第3師団長としての、最後の指導方針は以下の通りであった。
【統 率 方 針】所命必遂
【要 望 事 項】指揮の要訣の実践 地域との連携
【以下、2017年12月14日加筆】
ついにこの日が来てしまったという、寂しい思いを禁じ得ない。
角南の退役の日だ。
オッサンになり頭は白くなったが、それでも分厚い胸板に太い腕は健在で、最後の最後まで「角南ファン」がとても多い、魅力あふれる将官であった。
普通科ど真ん中の陸自人生であり、普通科最精鋭である第3普通科連隊(北海道名寄)の中隊長を務めていた頃にはPKOでゴラン高原にも赴き、我が国の国益のために非常な成果を残すなど、その功績は数え切れない。
最後の補職となった第3師団長では、政経中枢師団を預かるものとして日本が直面する都市型テロや都市型攻撃など、新たな時代の防衛体制を築いた功績も非常に大きい。
平成28年度に行われた、米軍との実働訓練であるオリエント・シールドでは担任官を務め、スマートな立ち居振る舞いの軍人外交で多くの米国軍人を魅了した。
その退役は本当に寂しく、ただただ、これまで我が国の平和と安全に対する貢献に対し、心からの感謝を伝えたい。
本当にお疲れ様でした。
2017年12月には、陸幕長の山崎幸二(第27期)に続き航空幕僚長に丸茂吉成(第27期)が着任し、27期以前の幹部自衛官はほぼ、退役したか退役へと向かっている状況だ。
なお、河野克俊(第21期)は、あと30年は統合幕僚長を務めそうである・・・。
27期組が退役とか冗談だろ、まだ若いじゃないかと思ったが、よく考えれば既に60歳手前。
厳しかった陸自の任務を卒業し、もうゆっくりとして良い頃合いであった。
角南陸将の第2の人生も充実した人生になることを、心からお祈りします。
改めまして本当にお疲れ様でした。
【以下、2017年10月21日加筆】
2017年10月現在の話だが、角南についてはやや不思議な補職となっている。
防衛大学校卒業年次は第27期なので、2017年8月に陸上幕僚長に着任した山崎幸二(第27期)と同期だ。
同期から陸上幕僚長が着任すれば、他の将官は早期退職勧奨を受けるのが自衛隊の慣例なので、このタイミングで退役かと思われたが、現職に留まっている形だ。
2017年8月に山崎が陸幕長に着任した人事は、本来予定された人事ではなく、いわゆる南スーダン日報隠蔽問題の影響で人事が1年前倒しになったものであった。
そのため、27期組の将官を早々に退役させるには不都合があり、また角南を退役させるには不都合が大きすぎるということなのだろう。
もうしばらく角南の活躍を見ていられるのは嬉しい限りだ。
しかしながら陸自の人事を概観すると、すでに1期後の28期組が方面総監に昇っており、2期後の29期組が陸上幕僚副長や統合幕僚副長の要職に昇っている状況である。
3期後の30期組1選抜が師団長に着任しており、やはり27期組の師団長は退役の時が近いと言わざるを得ない。
あるいは、2018年3月に創隊が予定されている陸上総隊においてなんらかの要職を務める可能性があるのか。
何らかの特別な理由があるのかも知れないが、客観的に考えれば、角南の勇姿を見られる時間は残り少ないと覚悟したほうがいいのかもしれない。
※
本記事は当初2017年6月20日に公開していたが、加筆修正が重なったので2017年10月21日に整理し、改めて公開した。
なお、ここから下の部分は2017年6月に公開した当時のものをそのまま残している。
なおこちらは、第22普通科連隊長時代の角南陸将である。
平成17年当時で年齢は44歳前後だが、年齢を感じさせない若くてイケメンの若手高級幹部であった。
なぜか27期組は若手の頃、イケメンであった最高幹部が多い気がするのだが気のせいだろうか。
さて、その角南のキャリアを見てみると、陸上自衛隊に入隊したのが昭和58年3月で、1等陸佐に昇ったのが平成14年1月。
27期組1選抜(1番乗り)でのスピード出世であり、若年より多くの期待を集めたエリート自衛官であった。
そこから陸将補に昇ったのが平成21年3月なので、同期1番乗りというわけではないが、それでも1等陸佐を7年でパスする順調な出世である。
東部方面総監部幕僚副長や第6師団副師団長、中部方面総監部幕僚長などの要職を歴任し、6年後の平成27年8月に陸将に昇進、第3師団師団長に着任した。
陸上幕僚長レースという意味ではすでに終了している27期だが、それでも陸将に昇り、師団長に就任したスーパーエリートらしいキャリアとなっている。
なお、その連隊長職である第22普通科連隊は宮城県の多賀城に所在する部隊だが、あの東日本大震災では、多賀城駐屯地も水没し、また自衛官自身とその家族も被災者になったにも関わらず、まさに獅子奮迅の働きを見せたことで知られる部隊だ。
震災の地元駐屯地であったとは言え、その初動の速さ故に非常に多くの人命を救助し、また多くの被災者を励まし続け、未曾有の震災の中で大いに名を挙げた部隊となった。
東北地方の郷土部隊であり、非常にタフな曹士が揃っていることで知られる精鋭部隊だが、おそらく角南自身も、その生涯の勤務歴の中で、もっとも印象深い任務の一つになったことは間違いないだろう。
一方多賀城駐屯地では、あの震災において、非番であったにも関わらず、震災が発生すると直ちに帰隊しようと車を走らせていた2曹が、海辺で津波に呑み込まれ犠牲になるという非常に痛ましい出来事があった。
責任感の強さ故に犠牲になってしまったことは痛恨の極みであり、言葉に出来ないほどの悔しさを感じる。
また2曹はレンジャー資格者であり、津波に呑まれた後も、水から逃れようとズボンを脱ごうとした形跡があったそうだ。
最後の最後まで戦うことを諦めなかった、まさに陸自精鋭らしい鉄の心を持った男であったが、もちろん勤務中の死亡ということで、殉職の栄誉を持って部隊から送られた。
おそらく角南が連隊長であった頃にも在職していた部下であろう。
いつの時代も、隊員の殉職は痛恨の極みであり、指揮官にとってはやりきれない思いのはずだ。
殉職した自衛官、退役した自衛官、多くの人の思いを背負って長く自衛隊で指揮を執ってきた角南だが、あるいは第3師団長のポストが、自衛官生活最後の仕事になるかもしれない。
そのような、角南が背負うものの重さも理解しながら、その活躍には最後まで注目し、そして応援していきたい。
◆角南良児(陸上自衛隊) 主要経歴
昭和
58年3月 陸上自衛隊入隊(第27期)
平成
2年8月 幹部学校付(市ヶ谷)
4年8月 東北方面総監部防衛部訓練課(仙台)
6年1月 3等陸佐
6年3月 檜町駐屯地業務隊付(檜町)
7年7月 第3普通科連隊中隊長(名寄)
8年3月 第2次ゴラン輸送隊長(ゴラン高原)
9年3月 陸上幕僚監部人事部人事計画課(檜町)
9年7月 2等陸佐
10年3月 陸上幕僚監部防衛部防衛課(檜町)
14年1月 1等陸佐
14年8月 第13旅団司令部第3部長(海田市)
15年12月 陸上幕僚監部教育訓練部訓練課訓練班長(市ヶ谷)
16年3月 陸上幕僚監部教育訓練部訓練課訓練・演習班長(市ヶ谷)
17年8月 第22普通科連隊長(多賀城)
19年3月 統合幕僚監部運用部第2課長(市ヶ谷)
21年3月 東部方面総監部幕僚副長(朝霞) 陸将補
22年7月 陸上自衛隊研究本部総合研究部長(朝霞)
23年8月 第6師団副師団長(神町)
25年8月 中部方面総監部幕僚長(伊丹)
27年8月 第3師団長(伊丹) 陸将
29年12月 勇退 本当にお疲れ様でした
【注記】
このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。
主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。
自衛官各位の敬称略。
※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。
【引用元】
防衛省陸上自衛隊 第3師団公式Webサイト(顔写真)
http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/3d/dcg.html
http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/3d/activitycondition/28/os16.pdf(PDF注意)
防衛省陸上自衛隊 第22普通科連隊公式Webサイト(顔写真)
http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/6d/unit_hp/22i_hp/rentaisyoukai/rco/rco.html
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