三谷直人(航空自衛隊補給本部長・空将)|第29期・航空自衛隊

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その三谷が航空自衛隊に入隊したのは昭和60年3月。

1等空佐、空将補、空将に昇ったのがそれぞれ平成16年1月、22年7月、28年7月であったので、その全てが29期組1選抜となるスピード出世であった。

ただでさえ、将官に昇る幹部の数が少ない航空自衛隊において、文字通り29期を代表する最高幹部の一人であると言ってよいだろう。

(画像提供:航空自衛隊第4補給処公式Webサイト

(画像提供:航空自衛隊第3補給処公式Webサイト

1佐以降のキャリアだけで見てみると、指揮官ポストは宮城県の第4航空団整備補給群司令、宮崎県の第5航空団司令兼新田原基地司令、千葉県の第1補給処長兼木更津基地司令などを歴任し、平成28年7月からは中部航空方面隊司令官に着任。

出身職種が航空機整備なので、デポ(補給処)での指揮官ポストが目立つ内容になっている。

また中央(航空幕僚監部)では、班長ポストを人事教育部の援護計画班、防衛部防衛課業務計画班に加え、装備調整官で着任。

課長ポストは人事教育部人事計画課で、部長ポストには防衛部長で務めるなど、極めて重要なポストを歴任する。

またその間、全軍を俯瞰しその統制や機能、規律をチェックする防衛監察本部の監察官に着任するなど、幅広い分野で最高幹部を務めた。

そして平成29年8月から、我が国の兵站の心臓部である航空自衛隊補給本部長を任されると、さらにその手腕を発揮し、多くの実績を残し続けている。

29期のみならず、我が国を代表する自衛官の一人であると言ってよいだろう。

 

なおその三谷については、少しご紹介したいエピソードがある。

多くの国民にとって、まだまだ大きな痛みとともに記憶に刻まれている東日本大震災だが、当時三谷は、宮崎県に所在する第5航空団司令兼新田原基地司令のポストにあった。

そして、多くの国民が無力感に沈み、ただ事態の悪化を見守ることしかできなかった中、危険を顧みず、福島第一原発に赴き決死の放水を敢行した部隊の一つに、この新田原の消防小隊がいた。

日頃から、航空機の墜落や事故などに備え、特殊消防の技能を磨いていたためだ。

 

とはいいながら、今まさに爆発をしている原発の鎮圧など、特殊の次元が違う。

自衛隊は何でもできるスーパーマンではなく、ぶっちゃけた所、訓練をしていないことなどやりようがない。

しかしそれでも、国民を守る最後の砦として国難に立ち上がり、持てるノウハウの全てを尽くし、福島原発の鎮圧に立ち上がったのは、田之頭茂穂空曹長(当時)以下の志願隊員。

そして三谷はこれら勇気ある隊員たちを送り出す指揮官であった。

 

あの震災では、当時の陸上幕僚長であった火箱芳文(第18期)が福島原発に放水するチヌークの作戦に際し、最後まで

「俺も行く、部下にだけ危険な思いはさせられない!俺が陣頭指揮を執る!」

といい続け、幕僚たちを困らせたというエピソードは余りにも有名だ。

要するにそれだけ、指揮官も熱い想いで国難に立ち向かっていたわけだが、三谷もまた同じ思いであっただろう。

国難に立ち向かい現場を目指す隊員も、送り出す指揮官も、どちらも本当にタフなポジションだ。

震災当時、三谷はまさにそんなポストで指揮官職にあり、そして部下を福島に送り出したエピソードを持つ。

いろいろな意味で、三谷の心に深く刻まれている出来事なのではないだろうか。

 

それでは最後に、その三谷と同期である29期組の人事の動向について見てみたい。

29期組は2016年に最初の空将が選抜された年次であり、1佐までの同期は今まさに、2018年度で、全て定年退官を迎えようとしている。

そして、同期の航空幕僚長候補は既に出揃っており、その候補となる空将にあるものは、以下の通りになっている。

 

城殿保(第29期)・航空教育集団司令官(2016年7月)

三谷直人(第29期)・補給本部長(2016年7月)

増子豊(第29期)・中部航空方面隊司令官(2016年12月)

長島純(第29期)・航空自衛隊幹部学校長(2016年12月)

井上浩秀(第29期相当)・航空開発実験集団司令官(2017年12月)

※肩書は2019年2月現在。( )内は空将昇任時期。

 

以上のようになっており、あるいはこの中から、丸茂吉成(第27期)の後を継ぎ、第36代の航空幕僚長に着任するものが現れるかもしれないという状況だ。

いずれの空将も今まさに、我が国の安全保障政策の中でもっとも重い責任を担っている、他に得難い最高幹部ばかりであると言ってよいだろう。

 

三谷については、非常に不思議なことだが、航空自衛隊補給本部長と言うポストは、これだけ国家の安全を左右する補職でありながら、このポストを経験した幹部から航空幕僚長に昇ったものは、過去に一人もいない。

そして補給本部長は指定職4号であり、これ以上格上のポストと言えば航空幕僚長を除けば航空総隊司令官、航空教育集団司令官の2つしか無いが、三谷のキャリアから考えてこれらポストに着任する可能性は極めて低いのではないだろうか。

つまり、現職を最後に、長かった自衛官生活に別れを告げ、制服を置くことになるのかもしれないということだ。

 

とは言え、三谷が現に任されているポストは、我が国の命運を担う非常に重要なポストであることは、繰り返し申し上げてきたとおりだ。

結果がどうなろうとも、三谷の活躍こそが、我が国と世界の平和に直結する、今まさに注目して欲しい自衛官の一人である。

当サイトでも、今後とも三谷の動向には特に注目していきたい。

そして変わらず、その活躍を応援していきたい。

 

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。

(画像提供:航空自衛隊第3補給処公式Webサイト

◆三谷直人(航空自衛隊) 主要経歴

昭和
60年3月 防衛大学校卒業(第29期)

平成
8年1月 3等空佐
11年7月 2等空佐
11年8月 航空幕僚監部補任課(東京都)
14年2月 航空幕僚監部防衛課(東京都)
15年8月 幹部学校付
16年1月 1等空佐
16年8月 航空幕僚監部人事教育部援護計画班長(東京都)
18年3月 航空幕僚監部防衛部防衛課業務計画班長(東京都)
19年3月 航空幕僚監部防衛部(東京都)
20年4月 航空幕僚監部装備調整官(東京都)
20年8月 第4航空団整備補給群司令(宮城県)
21年8月 航空幕僚監部人事教育部人事計画課長(東京都)
22年7月 第5航空団司令兼新田原基地司令(宮崎県) 空将補
23年8月 第1補給処長兼木更津基地司令(千葉県)
24年7月 防衛監察本部監察官(東京都)
26年8月 航空幕僚監部防衛部長(東京都)
28年7月 中部航空方面隊司令官(埼玉県) 空将
29年8月 航空自衛隊補給本部長(東京都)

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