その兵庫が陸上自衛隊に入隊したのは平成8年3月。
1等陸佐に昇ったのが27年1月であったので、40期組1選抜(1番乗り)となるスピード出世だ。
原隊(初任地)は富士に所在していた戦車教導隊であり、同地で初級幹部として、厳しい自衛官生活のスタートを切った。
(画像提供:陸上自衛隊第72戦車連隊公式Webサイト)
その後職種部隊では、霞ヶ浦駐屯地業務付隊を経て平成14年3月からは偵察教導隊に異動。
なお若手幹部の「業務隊付」は、最寄りの大学や大学院で専門教育を受けていることが多いが、詳細は判明しない。
いずれにせよ、おそらく1選抜のエリート幹部として、大学院レベルの研究活動に従事した後に偵察教導隊に異動になったのではないだろうか。
さらに富士学校機甲科部でのスタッフポストを歴任した後は、平成23年からわが国初となる、米陸軍士官学校(通称:ウエストポイント)で教官のポストに着任。
留学ではなく、「教官ポスト」に着任する。
その他、各地のスタッフや参謀のポストでは第7師団司令部第3部、陸上幕僚監部防衛部の防衛協力課計画班での勤務などを経験するなど、要職を経験した。
そして平成30年3月から第72戦車連隊長に着任し、我が国の最精鋭戦車部隊を率いている。
40期組を代表する、高級幹部の1人と言ってよいだろう。
サラッと流したが、改めてご説明すると兵庫は、我が国の”軍人”として史上始めて、アメリカの陸軍士官学校で教壇に立った、自衛官である。
ウエストポイントといえば、1802年に創立され、220年の歴史を有する伝統ある学校で、率直に言うと100年前には、どうやって大日本帝国を滅ぼすのか。
そんな研究に従事していたと言っても過言ではない学校だ。
その士官学校に、陸自の高級幹部が初めて立ち、さらにその栄誉に兵庫が選ばれたというのは、特筆するべき歴史ではないだろうか。
ぜひそんな意味でも、この40期組1選抜のエリート幹部には、注目して欲しいと願っている。
では最後に、いつもどおり兵庫と同期である40期組の人事の動向について・・・
と言いたいところだが、40期組は2021年に最初の陸将補が選抜される予定の年次だ。
そのため、2019年3月現在では1選抜のスピード出世組でも1佐であり、そのご紹介は後日加筆することにしたい。
いずれにせよ兵庫は、40期組を代表する高級幹部であり、この先2030年代にかけて、我が国の国防を担う自衛官の一人になるだろう。
その活躍には今後も注目し、そして応援していきたい。
※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。
(画像提供:陸上自衛隊第72戦車連隊公式Webサイト)
◆兵庫剛(第40期) 主要経歴
平成
8年3月 陸上自衛隊入隊(第40期)
8年10月 戦車教導隊
11年3月 霞ヶ浦駐屯地業務付隊
14年3月 偵察教導隊
16年3月 富士学校機甲科部
18年8月 幹部学校
20年8月 第7師団司令部第3部
22年3月 陸上幕僚監部教育訓練部
23年 月 米陸軍士官学校教官
26年8月 富士学校機甲科部
27年1月 1等陸佐
27年3月 幹部学校
28年3月 陸上幕僚監部防衛部防衛協力課計画班
30年3月 第72戦車連隊長
もうここ方は72戦車連隊長ではなく、日米共同部に異動されています。
ご連絡ありがとうございました。
はい、なかなかタイムリーな更新はできませんが、また次の更新の際には、最新の情報にさせて頂きますね。