その中尾が陸上自衛隊に入隊したのは平成7年3月。
1等陸佐に昇ったのが28年7月であったので、現職が1佐として最初の、職種部隊勤務ということになる。
原隊(初任地)は北海道の遠軽に所在する第25普通科連隊で、同地で初級幹部として、厳しい自衛官生活のスタートを切った。
(画像提供:陸上自衛隊公式Webサイト)
その後、多くの幹部自衛官が思い出深いポストとしてお話してくれることが多い中隊長には静岡の第34普通科連隊で着任するものの、以降しばらく職種部隊から離れた勤務が続く。
その間、中央では、陸上幕僚監部の人事教育部人事計画課、統合幕僚監部運用部運用第1課などを経験し、班長ポストは陸上幕僚監部人事教育部の厚生班長で着任。
また平成23年8月からは内閣官房に出向した記録も残るが、おそらくこれは、国家安全保障会議のように、防衛の専門家の立場で国政を補佐する役割を任されたのではないだろうか。
とは言え当時はまだ、我が国には日本版NSCは創設されていなかった頃合いなので、その準備作業などに尽力をしたものと思われる。
さらに各地の幕僚やスタッフのポジションでは、第1師団司令部第3部、東部方面総監部防衛部などでも活躍し、平成28年3月からは防衛監察本部統括監察官付第3監察班長としても辣腕を振るった。
そして平成31年3月、第43普通科連隊長兼ねて都城駐屯地司令に着任し、我が国の国防の最前線にある戦力を率いて、南西方面の有事に対し部隊と共に心身を磨き上げている。
今もっとも注目してほしい、最前線にある指揮官の一人であると言ってよいだろう。
なお余談だが、中尾の初任地である遠軽駐屯地は、幹部候補生学校を卒業する際に候補生たちが、その配属をもっとも恐れる部隊の一つとして知られる。
「風雪磨人」の合言葉が示すように、冬の厳しさがハンパではない上に、本当になにもない北海道らしい部隊の一つだからだ。
だがそれだけに、地元との繋がりがとても深く、またここで初級幹部時代を過ごした幹部自衛官には、その後活躍する幹部がとても多いようだ。
中でも印象的な人物といえば、第1師団長や陸上自衛隊幹部学校長などを歴任し、平成30年3月に退役をされた西浩德(第28期)・元陸将だろうか。
西元陸将もその原隊は遠軽だったが、配属が決まった当初は大いなる不安で現地に赴いたものの、厳しい初級幹部時代の経験が自分の血肉になったことを、後日熱く語られている。
2年に1回は転勤がある自衛官にとって、田舎や家などあってないようなものではあるが、それでもやはり、原隊というのはいつまで経っても、どこか特別な響きがあるもののようだ。
では最後に、その中尾と同期である39期組の人事の動向について・・・
ご紹介したいところなのだが、39期組は2020年夏の将官人事で、最初の陸将補が選抜される年次だ。
そのためそのご紹介は割愛し、新たに陸将補が選抜された頃あいに加筆をしていきたい。
いずれにせよ、中尾を始めとした39期組の幹部は、この先2030年代にかけて我が国の平和と安全を守り抜く、中心になって活躍していく世代である。
その活躍には今後も注目し、応援していきたいと願っている。
※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。
(画像提供:陸上自衛隊熊本地方協力本部公式Webサイト)
◆中尾圭(陸上自衛隊) 主要経歴
平成
7年3月 陸上自衛隊入隊(第39期)
8年3月 第25普通科連隊(遠軽)
14年8月 幹部学校・指揮幕僚課程48期(目黒)
16年8月 第34普通科連隊中隊長(板妻)
18年8月 第1師団司令部第3部(練馬)
20年8月 陸上幕僚監部人事教育部人事計画課(市ヶ谷)
21年8月 統合幕僚監部運用部運用第1課(市ヶ谷)
23年8月 陸上幕僚監部防衛部付(内閣官房出向)(市ヶ谷)
25年8月 東部方面総監部防衛部(練馬)
28年3月 防衛監察本部統括監察官付第3監察班長(市ヶ谷)
28年7月 1等陸佐
29年3月 陸上幕僚監部人事教育部厚生班長(市ヶ谷)
31年3月 第43普通科連隊長兼ねて都城駐屯地司令
細かくてすみません。西方の演習場、矢野原ではなく、大矢野原演習場です。たぶん何かの弾みで抜けてしまったのかと思いますが、一応。m(__)m
グーフィー様、ありがとうございました!
いえ、細かいところほど大事だと思います。
すぐに修正しておきましたので、どうぞご確認下さい!
いつも素早い対応ありがとうございます。
今後も更新を楽しみにしております。
/)`・ω・´)あざっす!