その森本が陸上自衛隊に入隊したのは、高校卒業後すぐとなる平成元年3月。
その後、9年に渡り現場を経験した後に幹部候補生として選抜され、平成10年に久留米の幹部候補生学校に入校した。
幹部としての初任地は北恵庭に所在する第72戦車連隊であり、同地で初級幹部として、厳しい訓練を受けることになる。
(画像提供:陸上自衛隊第7偵察隊公式Webサイト)
その後も、森本は機甲科の幹部としてこれ以上はないほどに充実したキャリアを歩む。
初任地である第72戦車連隊以降は、第71戦車連隊(北千歳)、第73戦車連隊(南恵庭)、第71戦車連隊(北千歳)といった我が国の”機甲科の聖地”で要職を歴任。
さらに平成18年3月からは第7機甲師団の司令部第3部に配属され、全軍を俯瞰する役割を任されたかと思えば、平成19年3月からは、「北の政経中枢」である真駒内に所在する第11戦車大隊でも活躍する。
さらに中隊長ポストは、文字通り対ロシア戦闘の最前線である第2師団隷下・第2戦車連隊で上番し、北辺の防人としてその存在感を高めた。
その間、幹部教育では、現場に生き、現場で活躍することを決意した幹部特修課程に進み、近接戦闘のエキスパートの道を選ぶ。
また富士学校機甲科部での経験を積むなど、現場を知る幹部として、これ以上はないほどにその持ちうる知見を、組織に還元するポストも経験した。
そして平成30年3月、函館地方協力本部募集課長の要職を務めた後に、31年3月から第7偵察隊長に着任し、このクレイジーでタフな連中を取りまとめる名誉を国家から負託された。
現場を知り、部隊を率いる知見にも長けた、我が国の機甲科が誇るべき幹部の一人であると言ってよいだろう。
ところで管理人が、森本のような「叩き上げ幹部」を紹介する時にしつこく引用する、”あの記事”のことを今回も引用したい。
2018年9月に、曲がりなりにも権威があるとされている経済誌プレジデントに掲載された、
「自衛隊幹部が異様な低学歴集団である理由 -中学校レベルの根性論とパワハラ-」
についてだ。
このコラムは、慶應義塾大学SFC研究所で上席所員の肩書きを持つ、部谷直亮(ひだに・なおあき)氏の筆であった。
管理人は自衛隊を心から応援し、その幹部曹士の活躍を微力ながら、一市民にできる範囲で、バックアップしたいと願っている。
しかしその一方で、自衛隊を批判的に論じるメディアまでをも敵視するものではない。
思想信条は人それぞれであり、何よりも人としての礼儀やモラルに反しない方法であれば、まっとうな批判は組織を強くするからだ。
むしろ正しい批判までをも封じてしまったら、自衛隊は「いつかの過ち」を繰り返すことにもなりかねないだろう。
だからこそ、自衛隊であっても正しい批判にはしっかりと晒され、さらに組織を強くするべきであると願っている。
しかしながら、上記記事における部谷氏の自衛隊批判は極めて不勉強であり、なおかつその根底に、タイトルにも滲み出る自衛隊への誤解と偏見に溢れている。
いちいち挙げていけばキリがないが、その最たるものは、自衛隊幹部=キャリア官僚という理解だろうか。
同氏は、「自衛隊幹部が驚くべき低学歴集団である」という論旨の根拠として、巻頭にまず、
・他省庁のキャリアはほぼ100%が大卒
・にも関わらず自衛隊では、幹部の51%が高卒である
という数字を挙げて、自衛隊幹部の能力の低さの論拠にしている。
これが本当に、我が国を代表する「高学歴大学の知識人」とされる人の言説なのかと、残念でならない。
なぜか。
自衛隊では、防衛大学校を卒業し幹部に任官する若者の数だけでも、毎年400~500名に昇る。
加えて、防大と非防大(一般大学等)の比率はおよそ1:1であったかと記憶しているので、毎年800~1000名程度が、「幹部自衛官」に任官されている計算になる。
部内昇任から幹部になる自衛官の数も加えると、その数はさらに膨れ上がるだろう。
それに対し、中央省庁のキャリア官僚とは、各省で毎年、数十名程度が採用されるに過ぎない。
一例で、財務省が毎年採用するキャリア官僚の人数は、年によって若干異なるが、20数名である。
さらに2017年度を例に取ると、国家公務員全体の、キャリア官僚の最終合格者数は、1800人余であった。
この数字からおわかり頂けるように、もし本当に、「キャリア官僚」と「自衛隊幹部」の学歴を比較するのであれば、陸海空の「将」にあるものが相当のポジションだろう。
ただそれでも、陸海空の「将」にあるものの人数は2018年6月の数字で、概ね57名ほどであった。
であれば、陸海空の将にあるものでも、まだ多すぎて比較対象にならない。
そのようなことを考えると、敢えてキャリア官僚に相当する自衛隊幹部を比べるなら、陸海空の1選抜(トップエリート)で将に昇った最高幹部と、他省庁のキャリアがやっと比較対象になる話だ。
その上で、本当に一般省庁のキャリア官僚と比べ、自衛官の学歴が劣る組織であるのかを検証して、同じ結果が出るというのか。
部谷氏は、同じ記事を書けるだろうか。
いうまでもなく、1選抜で将に昇るような幹部で、大学(防衛大学校含む)を出ていないものなど、まず存在しない。
断言するが、大卒比率は100%だ。
日本の大学はもちろん、大学院や海外の大学・教育機関に留学経験の無い者も、ほとんどいないだろう。
にも関わらず、「幹部自衛官=キャリア官僚」と、なんとなくのイメージで解釈し、その大卒比率を比較するなど噴飯ものだ。
そもそもの「幹部自衛官」という制度そのものすら、理解していないことを自白しているようなものである。
「幹部自衛官」には、地方組織で班長を務める定年間際のベテラン自衛官も当然いるが、「キャリア官僚」にそんな公務員が存在するわけがないではないか。
なぜその程度の常識的なことも勉強せず、理解せずに、国家の根幹である国防組織を安易に批判できるのか。
落胆すると共に、この記事には、我が国の知識人とされる人の国防に対する理解とはこの程度のものであるのかと。
やや恐怖に近いものを感じるものであった。
いずれにせよ、このような「知識人」の存在は、管理人の記事制作意欲をさらに駆り立てるのに十分なものであった。
微力であっても、少しでも自衛隊という組織と、そこで力を尽くす幹部曹士の皆様の姿を正しく伝えたい。
立場もあり、自衛隊や自衛官では書けないことを、一般人だからこそ書ける実像を、さらに広めていきたいという想いを更に強くする出来事になった。
とりわけ、この森本のようなI幹部、それに曹士の活躍を軽く考える「知識人」がいるのであれば、徹底的に理解を求めていきたいと願っている。
部内から昇任し幹部になる、現場を知る隊員たちの活躍こそ、我が国の誇りであり宝だ。
そしてそれは、現場を知らないエリートだけが指揮を執り失敗をした、先の大戦への反省でもある。
だからこそ、森本のような幹部の活躍を、軽く見てはならない。
「頭のいい人」が、叩き上げの幹部の存在を軽く見ているのであれば、絶対に許してはならない。
森本のキャリアを見て、改めてその思いを新たにした。
では最後にいつもどおり、その森本と同期である42期組の人事の動向について・・・
と言いたいところだが、森本は先述のようにFOC(幹部特修課程)に学び、現場にあって我が国の国防に貢献し生きることを選択した幹部だ。
その生き方と、陸上幕僚長を目指すエリートの生き方を比較しても無意味であり、同期の人事を紹介することに意味はない。
そのため割愛し、森本の紹介とさせて頂きたいと思う。
これは国防に限らず、会社経営でも言えることだが、組織を支えるのは決してトップエリートだけではない。
現場を知り、現場から抜きん出た実績を残し幹部になった指揮官や上官の存在こそが、組織を強くする何よりの力だ。
そういった意味でもぜひ、I幹部(部内幹部)の活躍にも注目し、そして応援して欲しいと願っている。
※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。
(画像提供:陸上自衛隊第7偵察隊公式Webサイト)
◆森本英樹(陸上自衛隊) 主要経歴
平成
元年3月 陸上自衛隊入隊
10年3月 幹部候補生学校(第42期相当)
11年3月 第72戦車連隊(北恵庭)
12年3月 第71戦車連隊(北千歳)
14年3月 第73戦車連隊(南恵庭)
17年3月 第71戦車連隊(北千歳)
18年3月 第7師団司令部第3部(東千歳)
19年3月 第11戦車大隊(真駒内)
21年8月 第2戦車連隊中隊長(真駒内)
22年3月 幹部特修課程・近接戦闘(富士学校)
23年3月 第6戦車大隊(大和)
25年3月 富士学校機甲科部(富士)
26年12月 陸上幕僚監部総務部総務(市ヶ谷)
30年3月 函館地方協力本部募集課長(函館)
31年3月 第7偵察隊長(東千歳)
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