大野木秀樹(おおのぎ・ひでき)|第40期・第25普通科連隊長

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その大野木が陸上自衛隊に入隊したのは平成8年3月。

原隊(初任地)は第1師団隷下、第32普通科連隊であり、同地で初級幹部としての知見を積み上げた。


(画像提供:陸上自衛隊第2師団公式Webサイト 平成28年度第25普連レンジャー訓練)

その後、平成18年1月には、イラク戦争後で治安状況も非常に厳しいバクダットに、イラク復興業務支援隊の連絡幹部として赴任。

中隊長は19年8月から、こちらもその曹士の精強さで知られる東北の第44普通科連隊で、第4中隊長としてその知見を積み上げた。

また中央では、防衛部防衛課業務計画班員や指揮通信システム・情報部企画班長などの重要な部署で仕事を任されるなど、非常に充実したキャリアを積み上げる。

そして先述のように、平成30年8月に第25普通科連隊長兼遠軽駐屯地司令に着任し、我が国を代表すると言っても良い精鋭部隊を束ね、ともに錬成に励む毎日を送る。

 

なお余談だが、これだけ厳しい自然環境の中、結果を出し続けている精強な部隊だ。

遠い昔から、その訓練は厳しかったのだと思われるが、こんなエピソードがある。

時は昭和の終わりで、後に第1師団長に昇り、陸上自衛隊幹部学校長で2018年3月に退役されることになった元陸将・西浩德(第28期)がまだ幹部候補生だった頃。

初任地の発表式で「西浩德、第25普通科連隊、遠軽!!」とコールされた際に、周囲がざわついたという。

この時はなぜ、同期の候補生がざわつくのか理由がわからなかったと言うが、後から聞けば皆、この遠軽にだけは行きたくなかったからであったそうだ。

それほどまでに遠軽は、あらゆる意味で厳しく、また過酷な部隊であるということなのだろう。

しかし西は、この原隊で経験したあらゆる過酷な訓練が自分の財産になったと後年振り返り、思い出深い勤務地として名前を挙げている。

このように遠軽とは、第1師団長に昇るほどの男を育んだ、真に誉れある駐屯地ということだ。

大野木が預かるのはそのような部隊であり、そしてその隊員たちはどの部隊よりも強く、そしてたくましい。

 

では最後に、その大野木と同期である40期組の・・・と言いたいところだが、40期組は2021年に最初の陸将補が選抜される予定の年次であり、2018年度では1選抜でも1等陸佐の階級にある。

そのためそのご紹介は非常に多くなるので、このページでは割愛したい。

 

いずれにせよ、40期組は2018年度で40代なかばになる世代であり、2030年代前半にかけて、我が国の平和と安全に重い責任を背負っていく年次となる。

その活躍には要注目であり、そしてこれからも変わらず、応援していきたい。

 

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。


(画像提供:陸上自衛隊第2師団公式Webサイト 平成28年度第25普連レンジャー訓練)

◆大野木秀樹(陸上自衛隊) 主要経歴

平成
8年3月 陸上自衛隊入隊(第40期)
9年3月 第32普通科連隊(市ヶ谷→大宮)
15年8月 幹部学校指揮幕僚課程(目黒)
17年4月 富士学校普通科部戦術教官(富士)
18年1月 イラク復興業務支援隊連絡幹部
19年8月 第44普通科連隊第4中隊長(福島)
21年3月 陸上幕僚監部監理部総務課広報室(市ヶ谷)
23年4月 陸上幕僚監部防衛部防衛課業務計画班(市ヶ谷)
26年4月 幹部高級課程(目黒)
26年10月 統合高級課程(目黒)
27年3月 幹部学校戦略教官(目黒)
27年7月 1等陸佐
27年8月 第11旅団司令部第3部長(真駒内)
29年3月 陸上幕僚監部指揮通信システム・情報部企画班長(市ヶ谷)
30年8月 第25普通科連隊長兼遠軽駐屯地司令(遠軽)

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