小田剛(おだ・つよし)は昭和47年11月30日生まれ、大阪府出身の陸上自衛官。
防衛大学校第40期(精密機械工学)の卒業で幹候77期、職種は野戦特科だ。
平成30年8月(2018年8月) 第6特科連隊長兼ねて郡山駐屯地司令・1等陸佐
前職は第3師団司令部第3部長であった。
(画像提供:陸上自衛隊郡山駐屯地公式Webサイト)
(画像提供:陸上自衛隊郡山駐屯地公式Webサイト)
2019年9月現在、福島県の郡山駐屯地に所在する第6特科連隊で指揮を執る小田のご紹介だ。
FH-70を主兵装とした野戦特科の部隊であり、南東北の護りを担当するみちのくの精鋭部隊である。
その歴史は、前身となる独立特科32大隊が昭和28年10月、長崎県針尾から郡山へ移駐した時代まで遡る。
以来、冷戦時代の厳しい安全保障環境の中で国土の防衛を果たし、また数多くの災派(災害派遣)でも活躍し、多くの人の命を救った。
もちろん、東日本大震災にあっても福島所在の部隊として、全国のどの部隊よりも、非常な働きで人命救助・震災復興の任にあたっている。
そんな東北の精鋭を預かる小田が、陸上自衛隊に入隊したのは平成8年3月。
原隊(初任地)は兵庫県姫路市に所在していた第3特科連隊第3大隊であり、現在は第3特科隊として引き続き同地の護りについている。
1等陸佐に昇ったのは平成27年7月だったので、1選抜後期(1番手グループ)となるスピード出世であった。
(画像提供:陸上自衛隊郡山駐屯地公式Webサイト)
(画像提供:陸上自衛隊郡山駐屯地公式Webサイト)
原隊後のキャリアを見ると、多くの幹部自衛官が思い出深いポストとして語ることが多い中隊長は、原隊と同じ第3特科連隊の第1大隊第2中隊長で経験。
大隊長は、我が国の野戦特科の最精鋭・北海道真駒内の第1特科団第1特科群第133特科大隊長で着任した。
その間、中央(陸上幕僚監部)では防衛部防衛課や教育訓練部教育訓練課で活躍を見せる。
そして1等陸佐に昇任後は、兵庫県の千僧駐屯地に所在する第3師団司令部で第3部長を務め、その後職として第6特科連隊長兼ねて郡山駐屯地司令に上番した。
正面戦闘から都市防衛まで幅広く野戦特科の現場で指揮を執った、現場に精通した高級幹部の一人であると言ってよいだろう。
では最後に、その小田と同期である40期組の動向について見てみたい・・・ところだが、40期組は最初の陸将補が選抜されるのは、2021年夏の将官人事の予定だ。
そのため2018年12月では、1選抜の幹部で1等陸佐であり、数も多いのでそのご紹介はまたの機会にしたい。
小田については、野戦特科のエキスパートであり現場に通じる高級幹部であることは先述のとおりだ。
しかし、この先野戦特科のポストがどんどん減り続けていく中で、野戦特科の幹部がどのように活躍していくのか、なかなか見通しづらいところがある。
恐らく各地の師団や方面隊司令部、あるいは中央や富士学校の要職を務め、一般国民と接点のあるところでは、なかなかその活躍を見る機会がないのではないだろうか。
しかしそれでも、我が国の防衛にとって野戦特科という強力な抑止力、上陸側の目線で言えば多大な上陸コストを強いられる兵科は、他に存在しない。
だからこそ、こんな時代ということとも併せ、野戦特科の幹部には特にその動向に注目し、追っていきたいと願っている。
そしてこれからも、声を大にして応援していきたい。
※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。
(画像提供:陸上自衛隊郡山駐屯地公式Webサイト)
◆小田剛(陸上自衛隊) 主要経歴
平成
8年3月 陸上自衛隊入隊(第40期)
9年3月 第3特科連隊第3大隊(姫路)
14年10月 第3特科連隊第1大隊第2中隊長(姫路)
15年8月 幹部学校付(目黒)
17年8月 富士学校特科部(富士)
19年8月 防衛省防衛政策局(外務省出向)(霞ヶ関)
21年8月 陸上幕僚監部防衛部防衛課(市ヶ谷)
23年8月 第1特科団第1特科群第133特科大隊長(真駒内)
25年3月 陸上幕僚監部教育訓練部教育訓練課(市ヶ谷)
27年3月 研究本部(朝霞)
27年7月 1等陸佐
27年8月 幹部学校付(目黒)
28年7月 第3師団司令部第3部長(千僧)
30年8月 第6特科連隊長兼ねて郡山駐屯地司令
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