曽根勉(そね・つとむ)|第38期・第35普通科連隊長

曽根勉(そね・つとむ)は香川県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第38期の卒業で幹候75期、職種は普通科だ。

生年月日は判明しないが、第38期であれば、ストレートであれば昭和46年度の生まれということになる。

平成29年8月(2017年8月) 第35普通科連隊長・1等陸佐

前職は第12旅団司令部第3部長であった。

なお第35普通科連隊長としての指導方針は以下の通り。

【統率方針】

「事態即応・任務完遂」

【要望事項】

「明朗 闘魂 実行」

(画像提供:陸上自衛隊第35普通科連隊公式Webサイト

(画像提供:陸上自衛隊第35普通科連隊公式Webサイト

2019年9月現在、愛知県名古屋市の守山駐屯地に所在する第35普通科連隊で、連隊長を務める曽根だ。

我が国で第3の都市とも言える大都市を防衛する主力部隊であり、大都市の防衛を担うにふさわしい、極めて充実したキャリアを誇る1等陸佐である。

その曽根について。

これだけの要職を任される高級幹部でもあり、そのキャリアはどれも印象深いものばかりだが、敢えて一つ挙げるとすれば、それはオーストリア防衛駐在官(コソボ・マケドニア・セルビア・モンテネグロ兼轄)の補職であろうか。

オーストリアはドイツの南、イタリアの北にあり、スイスを挟んでフランスの東側に位置する。

そして東側には、スロバキアやハンガリーなどの小国を挟んではいるが、20世紀以降を通じ欧州の脅威であり続ける、ソビエト(ロシア)連邦が控えている形だ。

つまり欧州列強のど真ん中に位置するわけだが、その地理的条件から、歴史上激しい戦争を何度も経験し、1938年にはドイツに併合され、国を失った歴史を持つ。

第二次世界大戦後には独立を回復するが、この際にオーストリアは永世中立国を宣言。

そのようなこともあり、冷戦期には東西の諜報員が情報収集にあたり、諜報戦を繰り広げる舞台となったことで知られる。

その歴史は今も続き、2019年現在でも、外形上は永世中立国を維持している。

曽根が防衛駐在官として赴いたのは、このような背景を持つ国家であった。

そして欧州の政治・軍事に関する情報収集の拠点として今なお、非常に重要な位置にあり続けている。

歴史的にも、強国の狭間で独立を維持し、展開すべき外交を学ぶ上で大変価値のある国だ。

それだけでも、曽根に与えられた任務が極めて重要なものであったことが、おわかり頂けるのではないだろうか。

また曽根は、第43普通科連隊の中隊長時代に、第8次イラク復興業務支援群要員(運用訓練幹部)として、イラク戦争後のサマーワに赴いた経験も持ち合わせている。

なお、イラク復興業務支援隊とイラク復興業務支援群は、わずか1文字違いだが、同時期にイラクで活動し、それぞれ違う1等陸佐の隊長を持つ違う組織であったので、注意して欲しい。

上下関係のない組織で、こんな紛らわしいネーミングは珍しいようにも思えるが、支援隊の初代隊長は「ヒゲの隊長」でお馴染みの佐藤正久(第27期)。

支援群の初代隊長は番匠幸一郎(第24期)であった。

規模も支援隊が100名程度に対し、支援群が500~600名程度であって、隊長の格も部隊規模も群のほうが上であった。

そして、復興支援隊の役割はイラク政府や日本外務省と復興支援業務について調整・交渉を主な役割とする部隊であり、復興支援群は道路補修や給水、施設建設といった実際の支援業務を行う部隊である。

曽根はその後者、復興支援群の要員としてイラクに赴き、生命の危険を肌で感じながら運用訓練の幹部を務め、任務を完遂し帰国している。

なおこの頃のイラクは、日本国内で思われているほど治安の良い場所ではなく、宿営地には連日ロケット砲が撃ち込まれるなど、いつ戦闘状態になるとも知れない状況であった。

復興業務支援隊の第2次隊長であった田浦正人(第28期)・北部方面総監(2019年2月現在)などは赴任中、宿営地に7度ロケット弾を撃ち込まれるなど、その緊張の現地情勢を帰国後に語っている。

自衛隊にけが人や、最悪の場合犠牲者が出てもおかしくないほどの情勢であった文字通りの戦地であったが、曽根はこの過酷な任務を、30代前半の若い頃に経験した。

そして帰国後はすぐに、陸幕の運用支援・情報部に異動になり、在日米海兵隊陸上連絡官として米軍との緊密なパイプを構築。

以降、国際色豊かなキャリアを駆け上がっていくことになる。

では、それほどまでに充実したキャリアを誇る曽根とは、これまでどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

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