押川誠(おしかわ・まこと)|第40期・第8高射特科群長

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その押川が陸上自衛隊に入隊をしたのは平成8年3月。

1等陸佐に昇ったのが27年1月であったので、第40期組1選抜となるスピード昇任であった。

陸上自衛隊では、1選抜で将官に昇ることは直接、近い将来の陸上幕僚長候補に選ばれたことを意味するが、1選抜の将官は、陸自の場合必ず、1選抜で1佐にも昇る。

そういった意味でも、押川にかかる陸自と国民からの期待は非常に大きい。

(画像提供:陸上自衛隊青野原駐屯地公式Webサイト

原隊は、北海道旭川に所在する、第2高射特科大隊。

ご存知のように、旭川駐屯地は対ソ連防衛戦の中心として位置付けられており、戦前から今に至るも「軍都」として、その存在感が極めて大きな拠点だ。

駐屯地の真ん中に旧軍以来の滑走路があるなど、その規模も相当なものであり、駐屯地の目の前には北海道護国神社が鎮座している。

明治維新以降、多くの強兵を育ててきた伝統ある旭川駐屯地で押川はその初級幹部時代を過ごし、厳しい自衛官生活のスタートを切っている。

さらに、隷下隊員からは「オヤジ」と慕われ、多くの幹部自衛官にとって思い出深い補職の一つとされる中隊長ポストは、沖縄・八重瀬町に所在していた第6高射特科群第325高射中隊長で上番。

現在は第15高射特科連隊に改編されているが、当時も今も、国防の最前線に在って沖縄・南西方面の防空を担う任務は何も変わらない。

2019年現在の安全保障環境を考えると、この中隊長勤務は今の押川に、非常に大きな財産となっているのではないだろうか。

またその間、スタッフや幕僚のポストでは、第2師団司令部を経て中央に移り、陸上幕僚監部の運用支援・情報運用支援課、装備部装備計画課などでスタッフを務めた後に、班長ポストを運用支援・情報部運用支援課の運用支援第2班長として着任。

平成29年3月に運用支援・訓練部と名前を変えても、引き続き班長ポストで活躍し、さらに30年3月からは、陸上総隊司令部に異動し運用部の国際協力課長としても辣腕を振るった。

そして令和元年8月、第8高射特科群長兼ねて青野原駐屯地司令に上番し、さらにその手腕を発揮して我が国と世界の平和のために尽力を続けている。

今もっとも注目を集める、陸自幹部の一人であると言ってよいだろう。

 

では最後に、その押川と同期である40期組の人事の動向について・・・

と、いつも通りの締め方をしたいところであるが、さすがに40期組はまだ将官に昇る年次に達しておらず、その幹部を全員ご紹介するのは困難なので、今回は割愛したい。

その40期組から、最初の将官が選抜されるのは2021年夏の将官人事の予定だ。

押川自身もその有力候補の一人であり、またその頃に改めて、加筆をしていきたいと思う。

 

いずれにせよ、第40期組は今後、2030年初頭にかけて我が国と世界の平和を守る中心となって活躍をする世代だ。

押川だけでなく、この世代にある全ての自衛官の活躍に注目し、そして応援していきたいと願っている。

 

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。

(画像提供:陸上自衛隊青野原駐屯地公式Webサイト

◆押川誠(陸上自衛隊) 主要経歴

平成
8年3月 陸上自衛隊入隊(第40期)
9年 月 第2高射特科大隊
年 月 第2師団司令部
年 月 第6高射特科群第325高射中隊長
年 月 陸上幕僚監部運用支援・情報運用支援課
年 月 陸上幕僚監部装備部装備計画課
27年1月 1等陸佐
27年3月 幹部学校付
28年3月 陸上幕僚監部運用支援・情報部運用支援課運用支援第2班長
29年3月 陸上幕僚監部運用支援・訓練部運用支援課運用支援第2班長
30年3月 陸上総隊司令部運用部国際協力課長

令和
元年8月 第8高射特科群長兼ねて青野原駐屯地司令

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2件のコメント

上富良野駐屯地司令 徳留は押川と高校、
防大と同期。
出身校は西方の本松陸将と同じ都城西高。

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