【退役】石田裕(いしだ・ ひろし)|第28期・陸上自衛隊

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石田裕は昭和35年12月24日生まれ、福岡県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第28期の卒業で幹候65期、出身職種は機甲科だ。

 

平成29年12月(2017年12月) 第7師団副師団長兼ねて東千歳駐屯地司令・陸将補のポストを最後に勇退が決まった。

前職は東部方面総監部防衛部長であった。

 

 

【以下、2017年12月16日加筆】

石田については、最新情報に記事の更新を終えたばかりで、まさかの退役となり驚いている。

現場指揮経験のほとんどは機甲科の聖地・北海道であり、特に第7機甲師団での指揮官経験が厚い、本物の機甲屋であった。

陸将補に昇ったのが2016年7月の将官人事であり、まだ1年5ヶ月。

また28期組の人事を考えても、後職で教育系の要職を任されるのではないかと、退役までは1年以上あると予想していたので、本当に残念であり寂しい。

 

いうまでもなく、第7師団は我が国の機甲科のなかでも精鋭中の精鋭だ。

日本唯一の機甲師団という存在感は、決して名前だけではない。

その第7師団を塒(ねぐら)のようにして住み着き、多くの幹部曹士に愛された石田がその塒を去るとうインパクトは、第7師団の幹部曹士にも非常な驚きとして受け止められたのではないだろうか。

 

きっと74式戦車が全て退役する時には、同じような寂しさを感じるのではないだろうかという、当たり前に存在していた何かが無くなる喪失感だ。

その後任には、若くて勢いのある90式戦車や10式戦車が収まるが、「老兵」はすぐに忘れられてしまうのかと言えば決してそうではない。

74式戦車が我が国の平和と安全を守り続けたことを誰も忘れないように、石田の存在と実績は、きっと機甲科の中で語り継がれるだろう。

 

それにしても石田のスナップ写真には、いつでも寄り添っている若い士官の存在感が絶妙だ。

恐らく副官だと思うが、ページトップの画像のように時に凛々しく、ページ最下部の画像のように時に嬉しそうに石田を見つめる目は、なんとも言えない副官の美学を感じる。

退役の日、2017年12月20日にはどんな表情で石田を見送ってくれるのだろうか。

広報誌などで、目を皿のようにしてその存在を探してみたい。

 

昭和59年の防衛大学校入学から、恐らく精神的にも肉体的にものんびり出来る年末年始など無かったはずである。

突然、何もない年末年始になってしまったら何をしていいのか戸惑うことになるような気がするが、まずはのんびりと、ご家族様とともにゆっくりとお過ごしください。

本当にお疲れ様でした。

石田陸将補の第二の人生が充実したものになりますことを、ご家族様のご発展とご繁栄を心からお祈り申し上げます。

 

 

【以下、2017年11月18日加筆】

機甲戦闘のエキスパートもいいところの、極めて充実したキャリアを持つ石田だ。

陸上自衛隊には100名を越える将官がいるが、これほどまでに機甲師団での指揮経験が豊富な指揮官は他にいない。

圧倒的に石田が、その知識と経験で他を凌駕してると言えるだろう。

 

そもそもが、機甲科の聖地である第7師団であり、機甲師団と呼ばれる所以だ。

その第7師団での勤務は副師団長で4度を数え、これまでに第71戦車連隊第2戦車中隊長、第72戦車連隊長、第7師団司令部幕僚長、そして第7師団副師団長と、呆れるほどにこの東千歳を知り尽くす。

佐官以降の現場指揮経験では、わずかに第8偵察隊長(北熊本)があるのみであり、一貫して機甲戦闘における知識と経験を積み上げ、我が国の平和と安全に貢献し続けた。

 

後は第7師団長に昇り詰めれば完璧・・・と言いたいところだが、残念ながらそれは無いだろう。

陸将補から陸将への昇任は5回(5年)の人事考課が必要だ。

石田が陸将補に昇ったのは2016年7月だが、一方で28期組は恐らく2019年夏頃に同期から陸上幕僚長を排出するか、あるいは退役が始まる時期にあたる。

そのため、陸将に昇るには考査期間が不足するため、陸将ポストである師団長に昇ることはない。

 

そもそも、現場が大好き過ぎて1等陸佐の期間が長すぎたようだ。

石田が1等陸佐に昇ったのは、同期1選抜(1番乗り)から半年遅れの平成15年7月。

それから実に13年間も1等陸佐にあり、現場にこだわり抜いた指揮官として活躍する。

参考までに、最速の者では1等陸佐を6年でパスし、将補に昇る。

 

アメリカ映画であれば一番カッコよく、悪い将官の悪事を暴露し世界を悪の手から守るポジションのベテラン大佐(1等陸佐)だ。

スタートレックのピカード艦長も、何度も提督(少将)への昇任話を拒み大佐であり続けたように、なぜかハリウッドでは石田のようなベテラン佐官が一番カッコよく描かれる傾向にある。

 

現場にこだわり抜き、誰よりも現場の知見に富んだ指揮官だからであると思われるが、石田はまさにそんなキャリアを積み上げてきた中、後数年で退役が見えてきたところで、陸将補(少将)に祭り上げられてしまった。

 

 

さて、ではそんな28期組の、悪い事を企むエリート将官とは誰なのか。

アメリカ映画であれば、最後には必ず失脚するカッコ悪いポジションにある人達だが、それは以下のエリートたちだ。

 

田浦正人(第28期)・北部方面総監 機甲科出身

住田和明(第28期)・東部方面総監 高射特科出身

岸川公彦(第28期)・中部方面総監 施設科出身

湯浅悟郎(第28期)・西部方面総監 普通科出身

岩谷要(第28期)・陸上自衛隊研究本部長 施設科出身

 

28期組の中から陸上幕僚長が誕生する場合、この5名の中の誰かであることは間違いない。

その予想については、

【コラム】次期陸上幕僚長人事予想|第37代・2017年10月予想

で詳述しているのでここでは割愛するが、おそらく住田が本命であろう。

ものすごい切れ者だが、いかにも悪巧みをしそうなスーパーエリートである。

 

石田については、或いは後職では、2018年3月に創隊が予定されている陸上総隊において、機甲戦闘の知見を活かした要職に就くか。

もしくは富士学校の副校長に着任して、その溢れるばかりの機甲科戦闘に関する知識と経験を後進に授けるポジションに就くことがあれば、素晴らしい活躍を見せてくれるだろう。

 

まだまだその活躍を見ていたい石田であるが、退役の時は近いかもしれない。

後数年、しっかりとその活躍に注目をしながら、応援していきたい。

 

本記事は当初2017年6月30日に公開していたが、加筆修正が重なったので2017年11月18日に整理し、改めて公開した。

なお、ここから下の部分は2017年6月に公開した当時のものを一部抜粋する形で、そのまま残している。

 

◆石田裕(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
59年3月 陸上自衛隊入隊(第28期)

平成
7年1月 3等陸佐
7年8月 第71戦車連隊第2戦車中隊長(北千歳)
10年7月 2等陸佐
12年8月 第8偵察隊長(北熊本)
15年7月 富士学校総合開発研究部(富士) 1等陸佐
16年8月 幹部学校付
17年8月 陸上幕僚監部人事部援護班長(市ヶ谷)
18年3月 陸上幕僚監部募集・援護課援護班長(市ヶ谷)
20年3月 幹部学校教官
20年8月 第72戦車連隊長(北恵庭)
21年12月 京都地方協力本部長(京都)
23年12月 研究本部主任研究開発官(朝霞)
24年7月 第7師団司令部幕僚長(東千歳)
26年12月 東部方面総監部防衛部長(朝霞)
28年7月 第7師団副師団長(東千歳) 陸将補

 

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 第7師団Webサイト(着任式写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/7d/vcg3.html

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