【退役】島村雄司(しまむら・ゆうし)|第29期・海上自衛隊

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島村1佐は海将補に特別昇任の上で、退役をされたそうです。

長い間、本当にお疲れ様でした。

そして、ありがとうございました。

 

※太郎様、ご連絡ありがとうございました!

【以上、2018年8月26日追記】

 

島村雄司は防衛大学校第29期の卒業で、36幹候の海上自衛官。

職種は航海・船務であり、護衛艦の艦長を歴任してきたベテランの船乗りだ。

 

平成29年5月(2017年5月) 横須賀教育隊司令・1等海佐

前職は艦艇開発隊司令であった。

なお、横須賀教育隊司令としての指導方針は以下の通り。

 

【指導方針】

「伝統への尊厳」「未来への挑戦」

 

2017年9月現在、島村が補職されているのは横須賀教育隊司令のポストであり、自衛官候補生や海曹候補生に初級教育を実施する部隊の責任者だ。

若くエネルギーに溢れる平和の担い手たちを相手に、老骨(?)にムチを打って渡り合うポストになるので気力も体力も相当なものが必要とされる。

船乗りとして鍛えた細マッチョの島村には、まさに適任の仕事であると言えるだろう。

 

 

なお、島村を支える横須賀教育隊の先任伍長は三浦香織・海曹長。

通常、先任下士官といえば50代の鬼軍曹という前近代的なイメージがあるものだが、こんなに若くてきれいな女性が先任を務めているのは、いかにも海上自衛隊らしい組織の在り方だ。

防衛記念章も、第33号(赤地に縦2本の白棒:10年以上勤務者)は見えるものの、第32号(緑地に縦2本の白棒:25年以上勤務者)が見られないので、おそらくまだ30代の先任ということになるのではないだろうか。

 

ベテラン司令の島村と、その司令を支える若き先任によって鍛えられる若き曹士たちは、今日も朝6時に起床し、我が国の平和と安全を背負うため厳しい訓練に臨んでいる。

 

 

さて、その島村のキャリアをみると、若き曹士たちを鍛える司令としてふさわしい、極めて充実した経歴を積んできた海の男であることがわかる。

船乗りとして副長に就き、実質的に初めて艦の指揮を執ったのはイージス護衛艦であるこんごう。

言うまでもなく、こんごう型護衛艦の1番艦であり、わが国初のイージスシステム搭載護衛艦だ。

我が国の防衛政策の転換点ともなった艦であり、その運用によって積み上げられた知識と経験、安全保障体制に与えた影響は計り知れない。

 

そして島村は、こんごうを降りるとその足でやまゆきの艦長に着任。

さらに海上幕僚監部勤務を経て、2008年8月にはイージス艦みょうこうの艦長に補職され、海上自衛隊の最前線とも言える日本海の平和と安全に、大きな責任を持つこととなる。

 

みょうこうがどれほど、我が国の平和と安全を担う最前線にあるのか。

それは1999年3月に発生した、能登半島沖不審船事件が、その象徴的出来事であったといえるだろう。

みょうこうはこの事件に際し、わが国初の海上自衛隊に対する海上警備行動の発令を受け、逃走する北朝鮮の拉致工作船に対し実弾警告を行った史上初の護衛艦となった。

 

そしてこの出来事を期に、2001年には海上自衛隊に特別警備隊が創設され、わが国初の特殊部隊が編成されることとなる。

特別警備隊の任務は、海上における治安行動を担うことがその第一の任務とされているが、早い話がこのような場合に臨検に臨み、わかりやすい表現で言うと強行突入をして場合によっては北朝鮮の工作員を射殺してでもその意図を阻止することを目的とする。

 

その初代先任となり、実質的に特別警備隊を作った男として知られる伊藤祐靖・元2等海佐は、みょうこうでの不審船事件から特別警備隊の創設までをその著書、「国のために死ねるか」で事細かに描写しているが、とても興味深い1冊であった。

宣伝をする意図はないのでリンクは貼らないが、アマゾンでも買えるので、興味があれば一読して欲しい。

 

またみょうこうは、2009年10月にハワイ島沖でSM-3の発射実験を行い、高度185kmの大気圏外で標的となる模擬弾の迎撃に成功し、こんごうに続き2例目となる大陸間弾道弾ミサイルの迎撃に成功する。

そしてこの時に艦長を務め、見事に訓練を成功させたのが島村であった。

 

こんごうの副長をつとめてから6年。

イージス艦の船乗りとして要職を歴任した島村が、みょうこうの艦長として果たした大きな成果であった。

 

これら非常に充実した成果を挙げ続けた船乗りが、陸(おか)に上がり、2017年9月現在で、若き後進の育成にあたっている。

ある意味で、国防の最前線から退くことが我が国にとっての損失とも言えるほどに多くの知見をもつ高級幹部だが、だからこそ教育という将来投資の現場で、責任者に就くことになったのであろう。

なおかつ防大卒業の期別は28期で、残念ながらあと数年で退役を迎えることが確実な年次だ。

そういった意味では、豊富な知識と経験を積んだ島村だからこそ、このポストに最適任であると判断され、補職されたのであろう。

 

あるいは現在のポストが最後の奉職になる可能性もあるが、ぜひ全力を尽くし、10年後、20年後の主力となる防人たちを育ててくれることを願ってやまない。

 

◆島村雄司(海上自衛隊) 主要経歴

昭和
60年3月 海上自衛隊入隊(第29期・36幹候)

平成
年 月 こんごう副長
15年9月 やまゆき艦長
16年9月 海上幕僚監部装備体系課
19年8月 護衛艦隊司令部研究開発主任幕僚
20年3月 兼ねて研究開発幕僚A
20年8月 みょうこう艦長
22年3月 海上自衛隊第1術科学校教育第2部長
23年3月 兼ねて研究部長
24年12月 誘導武器教育訓練隊司令
27年4月 艦艇開発隊司令
29年5月 横須賀教育隊司令

 

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省海上自衛隊 横須賀教育隊公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/msdf/yokokyou/

防衛省公式Webサイト 防衛省の取り組み(BMD解説ページ)

http://www.mod.go.jp/j/approach/defense/bmd/

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3件のコメント

太郎さんコメントありがとうございます!
後ほど、データを更新させていただきます。
ありがとうございました!

中の人談だけど班長間ではすごく嫌われてましたよ。
頭の敬礼やるなだの無駄に学生罷免するわ隊舎表札全部書き直したり。
なぜか退役の日に停電が起こったりしましたね。

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