牛若が海上自衛隊に入隊したのは平成5年3月。
1等海佐に昇ったのが24年1月なので、37期1選抜のスピード出世だ。
そして1等海佐としてのキャリアだが、やはりなんと言っても目を引くのは、在シンガポール防衛駐在官のポストだろう。
ただでさえ、海上自衛隊の幹部が防衛駐在官として海外に赴任する際には、陸・空とはまた違った特別な意味がある。
それは、現地において国交や軍事交流がない国の駐在武官と交流することができるという任務にとどまらず、海自の場合、実際の艦艇や乗組員の練度を直接確認できる機会が在ることだ。
陸や空ではなかなか、駐在先で世界各国の戦車や戦闘機に接することは考えられないが、このあたりは軍人外交として、海自の幹部にしかできない事があると言ってよいだろう。
そして牛若の赴任先は、世界中から艦船が集まり、軍事交流が盛んに行われているシンガポール。
米国・北朝鮮の双方と国交がある上に、比較的中立の立場を示していることから、米朝首脳会談の場所に選ばれたことからも明らかなように、同国は軍事上の交流拠点としても極めて重要な意味を持つ国である。
そして、同国に入港する世界各国の艦船や乗組員と交流し、その情報収集幹部として十二分の活躍を見せた牛若は、帰国すると直ちに情報本部の統合情報2課1班長として市ヶ谷に勤務。
その知見が早速、我が国の安全保障政策に貢献したであろうことは疑いのない配置を経験した。
そしてその後職として第21航空隊の司令に着任したわけだが、オーストラリア国防大学への留学と併せ、アジア通の海自幹部らしい要職を今後も歴任していくことになるだろう。
なお、37期といえば2018年夏の将官人事で、最初の海将補が選抜される年次にあたる。
海自では、1選抜将補は1名ないしは2名であり、非常に狭き門だが、こちらの人事も非常に楽しみだ。
また人事の行方に関わらず、37期は2018年現在で40代後半であり、2020年代後半にかけて我が国の平和と安全をもっとも重い責任と覚悟で背負っていく世代である。
その動向には注目し、そして応援していきたい。
◆牛若健悟(海上自衛隊) 主要経歴
平成
5年3月 海上自衛隊入隊(第37期)
9年6月 第122航空隊(長崎県大村)
15年2月 海上幕僚監部総務課(東京都市ヶ谷)
17年7月 国防大学(オーストラリア)
18年12月 統合幕僚監部運用1課(東京都市ヶ谷)
20年3月 第23航空隊(京都府舞鶴)
21年3月 第21航空隊(千葉県館山)
21年8月 第21航空隊第212飛行隊長(千葉県館山)
22年8月 航空集団司令部(神奈川県厚木)
年 月 海上自衛隊東京業務隊(東京都新宿)
24年1月 1等海佐
24年6月 外務事務官(シンガポール)
27年8月 情報本部統合情報2課1班長(東京都市ヶ谷)
30年2月 第21航空隊司令(館山)
【注記】
このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。
主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。
自衛官各位の敬称略。
※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。
【引用元】
防衛省海上自衛隊 第21航空隊公式Webサイト(プロフィール画像など)
http://www.mod.go.jp/msdf/tateyama/21fshp/21home.html
http://www.mod.go.jp/msdf/tateyama/21fshp/shasin.htm
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