亀井律子(かめい・りつこ)|第36期相当・京都地方協力本部長

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その亀井が陸上自衛隊に入隊したのは、階級で言うと一番下にあたる2等陸士。

当時の婦人自衛官教育隊に入隊し、その後、陸曹試験に合格して3等陸曹に任官した。

その上で、平成4年に部内幹部に合格し平成5年に3尉に昇任した、正真正銘本物の叩き上げの幹部自衛官である。

陸士、陸曹を経て幹部に任官した、現場を知る、非常に頼もしい幹部自衛官だ。

 

ちなみに、亀井が自衛官を志したのは中学生の頃。

宝塚歌劇団の男役に憧れ、宝塚に入るか自衛官を目指すか、という、とても中学生らしい夢を抱いた上での自衛隊入隊であった。

(画像提供:自衛隊京都地方協力本部公式フェイスブック

さらに、宝塚を目指したほどに夢と努力の人である亀井の挑戦はまだまだ続く。

平成13年8月には、幹部自衛官の中で最高の難関であることで知られるCGS(指揮幕僚課程)に合格。

15年7月に卒業し、最高幹部への足場を完全に固めたことになるが、女性として部内幹部からCGSを突破したのは、亀井が史上初の快挙であった。

そしてまだまだ男性社会の自衛隊にあって、「部内幹部から1等陸佐に昇るのは伝説クラス」とまで言われる中、平成26年7月にはついに、1等陸佐にまで昇任してしまった。

全く呆れるほどに努力の人であり、静かに熱く仕事をこなしてきた陸上自衛官らしい幹部であり、そして美しく気品のある女性であった。

 

これほどの能力があり、なおかつ「夢の体現者」である幹部自衛官を、目立たないところに隠しておく手はないだろう。

おそらくそんな中央の意向が働いたのではないだろうか、非常に露出が多い、一般国民とも触れ合うことが多い京都地方協力本部長に着任したのは、これ以上ない適材適所なのではないだろうか。

今後の活躍がとても楽しみであり、非常にワクワクする思いである。

 

なお最後に、今後の亀井の動向についての予想だ。

36期相当の幹部任官とは言え、ストレートの防衛大学校36期相当幹部は、昭和44年度の生まれにあたる。

そのため、昭和40年度の生まれである亀井が更に上、陸将補レースに参加することはまずない。

1佐への昇任も平成26年7月であったことを考えると、陸将補に昇ることができるのは最短で平成32年であり、亀井が56歳の年だ。

そしてその56歳の年は、1等陸佐としての定年を迎える年齢にあたることを考え合わせても、陸将補への昇任は極めて厳しいだろう。

 

しかし、営門将補はどうだろうか。

京都地本長の補職は、おそらく2020年までとなる見込みだ。

そして2020年は亀井が54歳であり、定年まで2年を残している。

つまり、もう一つ要職に着任する可能性があるわけだが、あるいはそのポストは、1等陸佐として最高に栄誉あるポストで、この「偉大な女性幹部」を見送ることになるのではないだろうか。

そしてそれは、副旅団長クラスの要職であり、なおかつ退職と共に陸将補に昇任する栄誉をもって、陸上自衛隊は亀井の功績に応えるものと予想している。

というよりも、そうであったら良いなと思って書いている。

 

とは言えまずは、足元の大仕事からだ。

後に続く多くの女性幹部にとって、きっと素晴らしい仕事ぶりを示すことで、この大役をやりきってくれることだろう。

京都地方協力本部長としての亀井の仕事に心から期待し、そして注目し応援していきたい。

 

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。

(画像提供:自衛隊京都地方協力本部公式フェイスブック

◆亀井律子(陸上自衛隊) 主要経歴

平成
年 月 女性自衛官教育隊(朝霞)
年 月 少年工科学校(武山)
年 月 通信教導隊(久里浜)
年 月 通信団本部(市ヶ谷)
13年8月 幹部学校・指揮幕僚課程(目黒)
15年8月 東京地方連絡部(東京)
年 月 陸上幕僚監部人事部(市ヶ谷)
年 月 陸上幕僚監部監理部(市ヶ谷)
年 月 研究本部(朝霞)
年 月 第104通信運用大隊長(伊丹)
年 月 陸上幕僚監部広報室(市ヶ谷)
年 月 幹部学校(目黒)
26年7月 1等陸佐
26年8月 女性自衛官教育隊長(朝霞)
28年3月 東部方面総監部人事部募集課長(朝霞)
30年8月 京都地方協力本部長(京都)

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2件のコメント

何時も拝見させていただいております。今回の陸上幕僚長は序列が一番の方でした。28期で陸将に6カ月早くなっています。

片岡様、コメントありがとうございました。
不勉強な予測を差し上げて、失礼しました
m(_ _)m

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