井川三典(いがわ・みつのり)|第40期相当・第27普通科連隊長

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その井川が陸上自衛隊に入隊したのは平成8年4月。

先述のように一般大学を卒業し陸上自衛隊に入隊しているが、原隊(初任地)は第1空挺団の第1中隊となっている。


(画像提供:小島肇・元2等陸佐


(画像提供:陸上自衛隊中部方面混成団公式Webサイト かけはし第30号)

その後、平成17年3月から18年3月までの1年間だけ、富士学校普通科部付として富士で過ごしているものの、平成20年3月までの12年間のほとんどを、習志野で第1空挺団と共に過ごす。

その間、第1空挺団普通科群第1中隊副中隊長、空挺教育隊教官、第1空挺団本部第3科防衛班長など、我が国が誇るこの最精鋭部隊での要職を歴任。

平成25年8月からは第1空挺団第2普通科大隊長、第1空挺団本部第3科長にも着任するなど、その自衛官人生の多くを、この誇り高き空挺部隊と共に歩んできた。

またその間、中央では統幕の補給系のポストに配置されるなど、兵站の実務も経験。

陸幕では広報室の事業係長として、富士総火演の抽選を引くなど、少し変わった補職も経験した。

 

このような、いかにもイカツい経歴を持つボスだが、平成28年12月から着任した第4陸曹教育隊の隊長ポストに決まった時には、おそらく大津駐屯地もザワついたのではないだろうか。

そしてその後職として、第27普通科連隊長に着任し今日も厳しい任務に臨んでいる。

なお私事で恐縮だが、私(管理人)が初めて自衛官との接点を持ったのは、実は防衛モニター時の第3師団ではなく、井川が第4陸曹教育隊長を務めた、その大津駐屯地だった。

今から40年ほど前の話だが、当時、地域のラグビースクールの練習場所として大津駐屯地のグラウンドをお借りし、練習に励んでいた。

たまに隊員食堂でカレーを頂き、また英会話を学ぶイベントもあるなど懐かしい思い出だが、戦闘服姿の自衛官の皆さんは「いいお兄さん」と言った感じで、皆優しかった。

思えば私の自衛隊好き、自衛官好きの原点は、この大津駐屯地にあるのかも知れない。

今もたまに、駐屯地の記念行事に足を運ぶが、琵琶湖の湖岸と比叡の山々に囲まれた風光明媚な駐屯地の姿は今も昔も変わらない。

井川もまたこの地で、同じ風景を見ながら任務にあたっていたのかと思うと、幼い頃にみた自衛官の姿に被り、どこか身近に感じさせて頂ける思いだ。

 

では最後に、いつも通り、その井川と同期である40期組の人事の動向について見てみたい・・・ところではあるのだが、40期組は最初の陸将補が選抜されるのが、2021年夏の将官人事の予定だ。

そのため2018年10月現在では、同期1選抜(1番乗り)でも1等陸佐であり、その数は簡単にご紹介できる人数ではないので割愛したい。

井川についてはそのキャリアの中で、これほどまでに第1空挺団とともにあった幹部だ。

今後はおそらく、第1空挺団はもちろん、陸上総隊司令部などで、そのキャリアを活かしより重要なポストを歴任していくことになるのではないだろうか。

その活躍が非常に楽しみな、幹部自衛官の一人である。

今後ともその動向には注目し、そして応援していきたい。

 

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。


(画像提供:小島肇・元2等陸佐

◆井川三典(陸上自衛隊) 主要経歴

平成
8年4月 陸上自衛隊入隊(第40期相当)
9年2月 第1空挺団普通科群第1中隊付(習志野)
13年3月 第1空挺団普通科群第1中隊副中隊長(習志野)
13年8月 空挺教育隊教官(習志野)
17年3月 富士学校普通科部付(富士)
18年3月 第1空挺団本部第3科防衛幹部(習志野)
19年3月 第1空挺団本部第3科防衛班長(習志野)
20年3月 中央業務支援隊付・伊藤忠商事(市ヶ谷)
21年3月 統合幕僚監部主席後方補給官付後方補給室後方計画班(市ヶ谷)
23年4月 陸上幕僚監部監理部総務課広報室事業係長(市ヶ谷)
25年8月 第1空挺団第2普通科大隊長(習志野)
28年3月 第1空挺団本部第3科長(習志野)
28年12月 第4陸曹教育隊長(大津)
30年7月 1等陸佐
30年8月 第27普通科連隊長兼ねて釧路駐屯地司令(釧路)

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2件のコメント

いつも更新楽しみにしています☆
井川連隊長は大学院卒の入隊なので少し先輩になっているのですね。

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