その梅木が陸上自衛隊に入隊したのは、平成6年3月。
1等陸佐に昇ったのが25年1月だったので、38期組1選抜(1番乗り)となるスピード出世だ。
原隊(初任地)は第3師団隷下、京都の第3施設大隊で過ごし、その初級幹部としての知見を積み上げている。
(画像提供:陸上自衛隊岩見沢駐屯地公式Webサイト 広報誌いわみざわ30号)
(画像提供:陸上自衛隊岩見沢駐屯地公式Webサイト 広報誌いわみざわ30号)
そのキャリアは、先述のように施設科の幹部としても非常な活躍が目立つが、情報系幹部としての活躍も非常に目を引く。
原隊での勤務を終えると、次に配属になったのは小平の調査学校。
ここで中国語を学ぶと、沖縄の第1混成団本部では第3科防衛班長を、沖縄地方協力本部では渉外補佐官を務めるなど、いろいろな意味で「国防の最前線」を経験。
イラク・サマーワで、調整任務を主とするイラク復興業務支援隊の一員として赴任していることについては、前述のとおりだ。
中央(陸上幕僚監部)でも、運用支援・情報部の情報課で要職に就くなど、そのキャリアには施設科の高級幹部とは別に、やはり「黒子」として活躍してきた経歴が見え隠れする。
また職種部隊では、多くの幹部自衛官が思い出のポストとして語ることが多い中隊長職を、福島県の第11施設群第355施設中隊で経験。
大隊長ポストは、我が国の火力戦闘を支える北海道の最精鋭部隊・第7師団隷下の第7施設大隊長として上番した。
そして連隊長(相当職)ポストは、北海道岩見沢の第12施設群長で着任し、施設科の本領を発揮して我が国最大の北部方面隊を施設面から支える活躍を見せた。
特に梅木が群長を務めている時代は、平成28年度から始まった同群の再編が過渡期を迎えていた時だ。
部隊が縮小・統合される中、機能別化される中隊をいかにして早期に戦力化するか。
また担当隊区への一日も早い対応に、どのように当たらせるか。
部隊再編期にあって、非常に難しい仕事を任され、その全てに大きな結果を残したこともまた、梅木の成し遂げた仕事の中で、特筆するべき成果だろう。
これは梅木に限ったことではないが、施設科の仕事は、決して目立つことはない。
ブルーインパルスのようにテレビで報じられることもなければ、そのパイロットのようにサインを求められることも無いだろう。
護衛艦のような華々しさもなければ、10式戦車のように総火演で歓声を浴びることもないポジションだ。
しかし、その総火演で演習場を整備し、機甲科の機動を支えているのは言うまでもなく施設科だ。
自衛隊の諸活動が海外で大きな評価を受けているのも、施設科の活躍によるところが非常に大きい。
しかし、決して目立つことはない。
私たち国民は普段、航空祭に足を運びF-15戦闘機に興奮することはあっても、駐屯地記念行事に足を運び「3t半(73式大型トラック)」を追いかけるマニアなど皆無だろう。
しかしそれでも、施設科に限らず多くの「裏方」にある陸自幹部曹士の皆さんは、国防の為に全力で任務にあたっている。
管理人は、そんな陸自が大好きである。
そして、決して目立つことはないが大きな仕事をしている職種や自衛官を、これからももっと応援していきたいと願っている。
ぜひ、誰にでもわかりやすい職種だけではなく、本当のマニアにしかわからない職種の応援をこそ、このサイトを訪れてくださるような物好き(?)の皆様には、して頂ければと思っている。
では最後に、その梅木と同期である38期組の人事の動向を・・・見ていきたいところだが、38期組はまもなくとなる2019年夏の将官人事で、最初の陸将補が選抜される予定の年次だ。
そのため2019年7月現在では1等陸佐が出世頭であり、そのご紹介はまた別の機会とさせていただきたい。
梅木については、いぶし銀の目立たない、それでいて大きな仕事を成し遂げてきた幹部である。
国防の最前線・西部方面隊での活躍をはじめ、まだまだ我が国の平和と安全のために、全力で任務を尽くしていってくれるはずだ。
その活躍は要注目であり、目を離せそうにない。
これからもその動向を追い続けながら、そして応援していきたい。
※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。
(画像提供:陸上自衛隊岩見沢駐屯地公式Webサイト 広報誌いわみざわ30号)
◆梅木正造(陸上自衛隊) 主要経歴
平成
6年3月 陸上自衛隊入隊(第38期)
年 月 第3施設大隊(京都府:大久保)
年 月 調査学校(第30期幹部中国語課程)(東京都:小平)
年 月 第6施設大隊(山形県:神町)
年 月 第11施設群第355施設中隊長(福島県:福島)
年 月 幹部学校(第47期指揮幕僚課程)(東京都:目黒)
年 月 第1混成団本部第3科防衛班長(沖縄県:那覇)
年 月 第4次イラク復興業務支援隊本部3科(イラク:サマーワ)
年 月 第1混成団本部第3科(沖縄県:那覇)
年 月 陸上幕僚監部運用支援・情報部情報課(東京都:市ヶ谷)
年 月 陸上幕僚監部教育訓練部教育訓練課(東京都:市ヶ谷)
21年3月 第7施設大隊長兼ねて第7師団司令部施設課長(北海道:東千歳)
22年8月 陸上幕僚監部防衛部防衛課(東京都:市ヶ谷)
年 月 自衛隊沖縄地方協力本部渉外補佐官(沖縄県那覇市)
23年7月 1等陸佐
年 月 幹部学校(第66期幹部高級課程)(東京都:目黒)
年 月 統合幕僚学校(第16期統合高級課程)(東京都:目黒)
年 月 中部方面総監部防衛部防衛課長(兵庫県:伊丹)
年 月 陸上自衛隊幹部学校教育部教官(東京都:目黒)
28年12月 第12施設群長兼ねて岩見沢駐屯地司令(北海道:岩見沢)
30年8月 陸上総隊司令部運用部副部長
第3施設大隊第2中隊配属の曹長時代にご一緒させていただきました。
また第1施設団長の豊田真陸将補も当時2尉で在籍していました。
豊田2尉が英語の集合教育に参加された後に、梅木3尉に語学教育の重要性について話しておられたのを思い出しました。
当時の中隊長はこの前退職された東部方面後方支援隊長の重村1尉でした。
そうそうたるメンバーが揃った中隊で勤務出来て鼻高々です。
当時の給養係さま
本当に貴重な思い出をお聞かせいただきましてありがとうございました!
20年は前のお話ですよね。
とてもほっこりした気持ちにさせていただきながら、拝読させて頂きました。
感謝申し上げます。
当時の給養係さまも、当時曹長でいらっしゃったのであれば今はもう、定年退官されてずいぶんになるのではないでしょうか。
本当に、お疲れさまでした。
長件に渡り国防にご貢献された誇り高い人生に、心からの敬意と感謝を申しあげます。