梅木正造(うめき・まさなり)|第38期・陸上総隊運用部副部長

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梅木正造(うめき・まさなり)は昭和46年9月12日生まれ、大分県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第38期の卒業で幹候75期、職種は施設科だ。

 

平成30年8月(2018年8月) 陸上総隊司令部運用部副部長・1等陸佐

前職は12施設群長兼ねて岩見沢駐屯地司令であった。

なお、第12施設群長及び岩見沢駐屯地司令であった時の指導方針は以下の通り。

 

【統率方針】

「事態即応 任務完遂」

【要望事項】

「使命の自覚 目標の確立 着実な実行」

【駐屯地司令要望事項】

「厳正な規律の保持」
「信頼される地域社会の一員たれ」


(画像提供:陸上自衛隊岩見沢駐屯地公式Webサイト 広報誌いわみざわ30号)

2019年7月現在、陸上総隊司令部で運用部副部長を務める梅木だ。

陸上総隊は、有事の際には我が国の全ての実力組織を統率する可能性がある組織であり、また水陸機動団や第1空挺団と言った、我が国を代表する精鋭無比の部隊を直接指揮する組織である。

その部隊運用をプランニングし、部隊の采配を行う部署で副部長、すなわち実務担当者を務めるのが、今の梅木の任務ということになる。

 

その梅木について、これほどの要職を任される幹部のことだ。

そのキャリアの多くがとても印象深いものになっているが、敢えて一つ挙げるとすれば、それは第4次イラク復興業務支援隊の一員として、イラクのサマーワに赴任していることだろうか。

いうまでもなく、国際貢献活動と言えば、梅木がそのエキスパートである施設科の本領発揮と言ったところだが、この際の梅木は支援群の方ではなく支援隊の方。

つまり、実際にインフラを整備し施設を建設する部隊ではなく、現地政府と外務省や日本政府との調整を行う部隊の一員として渡っている。

また、その後の梅木のキャリアと併せてのお話になるが、イラク赴任前後でも、梅木には情報系の補職での活躍が目立つ。

つまり、正しい情報を入手・分析し、難しい環境の中でどのように当事者・関係者の利害調整をはかるのか。

そう言った領域で非常な強みを発揮してきたことが窺えるキャリアであると言えそうだ。

特に平成23年には、沖縄地方協力本部の渉外補佐官という非常に困難な部署にあり、1等陸佐として極めて重要な重責を果たしている。

施設科の幹部として、その職種部隊での活躍ももちろん特筆するべきことだが、さらに目を引くのはこのような、決して目立つことはないが我が国の国益のために、黒子になって尽力をした梅木の姿だ。

利害の調整というのは、猛烈なストレスと困難が伴う非常に厳しい任務であることは疑いようがない。

そのような重責を多く任され、また成果を上げてきたことにこそ、梅木の強みと凄さがあるのではないだろうか。

梅木が積み上げてきたキャリアからは、そのような幹部としての姿がハッキリと浮かび上がる。

 

ではそんな梅木とは、これまでどのようなキャリアを過ごし、陸上総隊司令部の運用部副部長をいう重責を任されることになったのだろうか。

少し詳細に、そのキャリアを見ていきたい。

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2件のコメント

第3施設大隊第2中隊配属の曹長時代にご一緒させていただきました。
また第1施設団長の豊田真陸将補も当時2尉で在籍していました。
豊田2尉が英語の集合教育に参加された後に、梅木3尉に語学教育の重要性について話しておられたのを思い出しました。
当時の中隊長はこの前退職された東部方面後方支援隊長の重村1尉でした。
そうそうたるメンバーが揃った中隊で勤務出来て鼻高々です。

当時の給養係さま
本当に貴重な思い出をお聞かせいただきましてありがとうございました!
20年は前のお話ですよね。
とてもほっこりした気持ちにさせていただきながら、拝読させて頂きました。
感謝申し上げます。

当時の給養係さまも、当時曹長でいらっしゃったのであれば今はもう、定年退官されてずいぶんになるのではないでしょうか。
本当に、お疲れさまでした。
長件に渡り国防にご貢献された誇り高い人生に、心からの敬意と感謝を申しあげます。

当時の給養係 へ返信するコメントをキャンセル