その氏森について、公式プロフィールは平成2年3月の、第11戦車大隊から始まる。
以降、第73戦車連隊(南恵庭)や富士学校機甲科部の偵察教官を務めるなど、機甲科ど真ん中のキャリアを積み上げてきた。
なお先述のように、出身はおそらく少年工科学校だと思われるが、こちらは確認でき次第、必要に応じて加筆修正したい。
(画像提供:陸上自衛隊第8師団公式Webサイト)
その後も、第4戦車大隊を挟んで再び富士学校の偵察教官に着任し、また中隊長は機甲科の聖地・第7師団の71戦車連隊で務めるなど、機甲科としての現場経験は非常に充実している。
暫くの間、平成22年の第71戦車連隊長以降は現場を離れていたが、7年ぶりとなる現場だ。
7年ぶりの職種部隊として、平成29年8月に第8偵察隊長に着任した。
なお余談だが、人によって感じ方は違うかも知れないが、多くの陸自幹部自衛官が思い出の補職として良く語ってくれるのは、中隊長職だ。
その理由だが、一つにはそもそも、幹部自衛官にとって非常な名誉である指揮官ポストであるということ。
さらに中隊長は、連隊長や師団長と違い、一人ひとりの隊員との距離が極めて近く、人間関係がとても濃くなるからだ。
さらにその上で、小隊長を通じて指揮能力を発揮するポストでもあるので、いわば全てが肌感覚の醍醐味を感じられるからなのだろう。
例えばこれが連隊長になると、直属の部下は副連隊長に科長、中隊長となってしまい、さらに一人ひとりの隊員は中隊長が握っている。
いわば、隊員一人ひとりの現場感覚からは離れ、また隊員からみれば文字通り「雲の上の人」となるので、やはり現場を愛する陸自幹部は、中隊長職がもっとも楽しかったと思う人が多いようだ。
そして氏森は、その中隊長職が機甲科の聖地である、北千歳に所在する第71戦車連隊。
きっと、その自衛官生活の中でも最高にやりがいのあった仕事になっているのではないだろうか。
では最後に、氏森と同期の・・・といつもどおりの締め方をしたいところだが、氏森はFOC(幹部特修課程)を選んだ幹部自衛官だ。
FOCは、職種の指揮官クラスを担うことを選んだ生き方であり、将官に昇り、さらに師団長やその上を目指す生き方ではない。
そのため、幹部候補生学校同期の動向をご紹介する必要はないだろう、割愛したい。
現場を知り尽くし、さらに現場を愛する氏森にとって、この国防の最前線である第8偵察隊の隊長職は、これ以上はない適任と言えるだろう。
その活躍には今後も注目し、そして応援していきたい。
※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。
(画像提供:陸上自衛隊第8師団公式Webサイト)
◆氏森博生(陸上自衛隊) 主要経歴
昭和
61年4月 陸上自衛隊入隊(少年工科学校生徒第32期・武山)
平成
2年3月 第11戦車大隊(真駒内)
9年3月 第73戦車連隊(南恵庭)
16年8月 富士学校機甲科部教育課偵察教官(富士)
18年8月 第4戦車大隊(玖珠)
19年3月 富士学校機甲科部教育課偵察教官(富士)
19年7月 富士学校総務部(総務課校長副官)(富士)
21年3月 富士学校付FOC学生(富士)
22年3月 第71戦車連隊中隊長(北千歳)
24年3月 北部方面隊人事部人事班人事幹部(札幌)
26年3月 陸上自衛隊高等工科学校総務課長(武山)
27年8月 自衛隊茨城地方協力本部募集課長(水戸)
29年8月 第8偵察隊長
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