石丸威司(愛知地方協力本部長・1等陸佐)|第31期・陸上自衛隊

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石丸威司(いしまる・たけし)は昭和39年生まれ、大阪府出身の陸上自衛官。

防衛大学校第31期(土木工学)の卒業で幹候68期、職種は施設科だ。

 

平成29年8月(2017年8月) 自衛隊愛知地方協力本部長・1等陸佐

前職は西部方面後方支援隊長であった。


(画像提供:防衛省公式Webサイト


(画像提供:陸上自衛隊愛知地方協力本部公式Webサイト

2018年11月現在、愛知地方協力本部長を務める石丸だ。

我が国が国際貢献活動を行う上で、非常に重要な役割を果たす施設科の幹部であり、そして石丸自身、その国際貢献活動で世界平和に広く貢献し続けてきた経歴を持つ。

 

中でも印象的な活躍が、平成24年8月から務めた陸幕装備部施設課長時代。

国連本部で、国連PKO部隊マニュアルの工兵分科会議長を務めたことだろうか。

石丸は元々、第3次モザンビーク派遣輸送隊の調整中隊として現地に赴き、またイラク復興業務支援隊では、クウェートでの分遣班長を務めるなど、早くから多くの「実戦経験」を積んできたキャリアを持つ。

なおモザンビークでの活動は、我が国が3番めに参加した、国連の平和維持活動だ。

内戦で完全に破壊されたモザンビークに平和をもたらすために、自衛隊は司令部に要員を出し、また輸送業務を担い、選挙監視活動を行うなど、国の治安維持に非常に大きな貢献を果たす。

その一方で、まだ十分な国際貢献活動に関する運営ノウハウが積み上がっていなかった時代のことであり、過酷な自然環境の東アフリカで、石丸を始めとした自衛隊員は天幕に野営。

食料や水はポルトガル軍から融通してもらいながら凌ぐなど、非常に厳しい環境の中で任務を遂行した。

 

イラク復興業務支援隊の任務の厳しさは、支援群の活動とも併せて、もはや多くの言葉は要らないだろう。

赴任にあたっては、家族に遺書を残した自衛官も多くいるなど、悲壮な覚悟で現地に赴いた国際貢献活動であった。

そしてイラク戦争後の現地に入り、武器の使用基準も決して明確とは言えない中で厳しい任務を遂行し、我が国の国益に大いに貢献。

我が国の存在感を大いに示し、自衛隊の士気、練度、規律の高さを世界に知らしめ、そして戦後イラクの復興に非常な功績を残した。

 

そんな諸活動に、工兵(施設科)の幹部として参加し続けてきた石丸である。

国連の場において、国連PKO部隊マニュアルの作成に携わり、工兵分科会議長までも任されたのは、ある意味必然であったと言える。

そしてこの出来事は、我が国の施設科のレベルがPKO活動を牽引する非常に高い水準にあることをも示したイベントであり、石丸はその栄誉を議長という形で受けることになった。

上記写真一枚目は、まさにその議長職を担った際の石丸だが、国民の誰も知らないようなこんなところでも、我が国の自衛官は世界平和のために、大仕事を淡々とこなし続けている。

ぜひ、一人でも多くの人に、この事実を知ってもらえたら幸いだ。

 

では、我が国の施設科を代表すると言っても良い大活躍を続けるその石丸とは、これまでどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

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