その石丸が陸上自衛隊に入隊したのは昭和62年3月。
原隊(初任地)は帯広に所在する第5施設大隊であり、厳しい北の大地で初級幹部時代を過ごして、後の活躍に繋がる知見を積み上げていくことになる。
(画像提供:防衛省公式Webサイト)
その後、先述のように第3次モザンビーク派遣輸送隊の調整中隊としてモザンビークに。
イラク復興業務支援隊のクウェート分遣班長としてクェートに赴任するなど、早くから海外での活躍を重ねる。
そして国内では、第8施設大隊長や第4施設群長として、各地の職種部隊で指揮官のポストを歴任。
その間、第8師団司令部の施設課長を務め、また陸幕では装備部施設課長も務めるなど、司令部や中央での勤務も幅広く経験した。
このような活躍の後、我が国の国防の最前線である西部方面隊で、後方支援隊の隊長に着任。
その後職として、自衛隊愛知地方協力本部の要職を任された形だ。
豊富な海外経験を活かし、自衛隊で働くことの魅力を一人でも多くの学生・生徒に熱く語り、次の世代の我が国の、そして世界の平和を担う人材を獲得してくれることだろう。
なお石丸が国連本部でPKO部隊マニュアル作成の工兵分科会議長を務めたのは先述のとおりだが、上記写真は2枚とも、その際の石丸の模様だ。
さすがに、自衛官の中でも非常にレアな経験をしたことで、とても印象深い任務になっているのではないだろうか。
最後に、その石丸と同期である31期組の人事の動向をご紹介して、締めにしたい。
31期組は、2018年夏の将官人事で最初の陸将が選抜されたばかりの年次だ。
そしてその陸将に在るのは、2018年11月現在で以下の幹部たちとなっている。
竹本竜司(第31期)・第1師団長(2018年8月)
沖邑佳彦(第31期)・第4師団長(2018年8月)
前田忠男(第31期)・第7師団長(2018年8月)
※肩書はいずれも2018年11月現在。( )は陸将昇任時期。
上記のようになっており、31期組についてはこの3名で、同期の陸幕長候補が出揃ったと考えてよいだろう。
本来であれば、4名が1選抜で陸将に昇任するのが慣例なのだが、2018年夏の将官人事では3名の陸将昇任に留まっているのが、31期組人事の特徴だ。
程なくして4人目が陸将に昇ると思われるが、あるいは陸自大改革の影響で、また人事の流れが少し変わったのかも知れない。
石丸については、これほどの実績を挙げ、また広く活躍をしてきたキャリアを誇る幹部だ。
31期組ということで、少しギリギリということにはなるが、あるいは後職ではいずれかの師団の副師団長職に着任し、陸将補に昇ることも考えられるのではないだろうか。
我が国だけでなく、広く世界平和に貢献し続けた、石丸の自衛官生活のご紹介であった。
今後ともその活躍には注目し、そして応援していきたい。
※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。
(画像提供:陸上自衛隊愛知地方協力本部公式Webサイト 広報室だより第28号)
◆石丸威司(陸上自衛隊) 主要経歴
昭和
62年3月 防衛大学校卒業(第31期)
年 月 第5施設大隊(帯広)
平成
年 月 第3次モザンビーク派遣輸送調整中隊(モザンビーク)
年 月 イラク復興業務支援隊クウェート分遣班長(クェート)
13年 月 2等陸佐
17年3月 第8施設大隊長兼ねて川内駐屯地司令(川内)
18年 月 1等陸佐
18年7月 第8師団司令部施設課長(北熊本)
年 月 中央即応集団司令部防衛部長(朝霞)
年 月 陸上幕僚監部施設課建設班長(市ヶ谷)
22年8月 第4施設群長兼ねて座間分屯地司令(座間)
24年8月 陸上幕僚監部装備部施設課長(市ヶ谷)
年 月 国連PKO部隊マニュアル工兵分科会議長(国連本部)
27年3月 西部方面後方支援隊長(目達原)
29年8月 自衛隊愛知地方協力本部長(愛知)
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