【退役】伊藤栄(いとう・さかえ)|少年工科学校第26期

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その伊藤が陸上自衛隊に入隊をしたのは、先述のように昭和55年4月。

幹部候補生が幹候72期なので、防衛大学校第35期相当ということになる。

少年工科学校を卒業し、3等陸曹として配属されたのは山形県の神町駐屯地に所在する第6後方支援連隊。

幹部としての原隊は、平成4年3月から赴任した第3後方支援連隊(千僧)であった。

(画像提供:少年工科学校第26期・江村様)

その後、職種部隊では中隊長ポストを東千歳に所在する第7後方支援連隊第2整備大隊の特科直接支援中隊長で着任。

なお幹部自衛官にとっての中隊長とは、隷下隊員一人ひとりの顔が直接見え、隊員から見れば「オヤジ」と慕われる、もっとも印象深いポストの一つだ。

親分肌の伊藤には、きっと今も、印象深いポストのひとつなのは間違いないだろう。

さらにその後、伊藤は平成24年3月には北海道・真駒内の第102全般支援大隊長に上番し、約160名の隊員を預かり指揮を執った。

当時を振り返り、伊藤は「至高の喜びでした」と、飲み会の席で私に語ってくれた表情が、とても印象的であった。

ちなみに当時の指導方針は、

「経験を積め!そして活かせ!」を要望事項に。
「家族愛・戦友愛を大切に」をサブ要望として掲げていたそうだ。

また当時、伊藤は大隊長を任された責任の重さに武者震いし、予想される2年間の任期の間で何をなすべきかを、事細かく赴任前からプランニングしたそうだ。

そしてこの2年間、単身赴任で現地に臨み、あらゆる時間を部下と組織、そして自己の心身の練成に費やしたことを、熱く語ってくれた。

 

そして大隊長に在った時にもっとも印象深かったことをお聞きすると、

「部隊を指揮し、統率することです。いや、統率出来てこそ初めて指揮が有効になると言ったほうが良い。この時期、人として自衛官として、部下や組織から多くのことを学ばせてもらい、成長させてもらいました。」

というお話が、とても印象的であった。

 

正直私には、指揮の要訣がなんたるか、全く想像がつかない。

しかし、厳しい任務の中で国家から大隊長というポストを任され、北部方面隊という大組織の中で160名の部下を指揮統率したという経験は、一般人には想像もつかない途方も無い財産になったはずだ。

そのことだけは、伊藤の暑苦しい話しぶりから、十二分に伝わった。

やはり、部内から昇任した叩き上げには、防衛大学校卒業生とはまた違う、鬼気迫る迫力がある。

 

次に、スタッフや幕僚としてのポストについても見ていきたい。

伊藤は第3師団司令部や武器学校教育部教務課などを経て、平成20年3月からは中央即応連隊の第4科長を務めた。

ご存知のように中央即応連隊とは、中央即応集団(現・陸上総隊)の直轄であって、我が国が誇る最精鋭集団の一つだ。

しかも中央即応連隊は、平成20年3月の創設なので、伊藤はその初代となる第4科長である。

何事も、初代のポストは組織の性格を色濃く決定づける。

逆に言うと、初代の指揮官や組織の長には、その任務にふさわしい者を配属するのが、陸上自衛隊の文化だ。

この、我が国の誇りである中央即応連隊の発足にあたり、初代となる幹部の一人に抜擢されたことの一事をもってしても、伊藤にかかる当時の陸上自衛隊の期待の大きさが窺えるのではないだろうか。

 

そしてその後は、補給統制本部装備計画部、補給統制本部火器車両部での勤務を経て、平成28年3月に武器学校第2教育部弾薬科長として後進の指導にあたる非常に名誉あるポストを務めあげ、令和元年9月に、39年6ヶ月に渡る誇りある自衛官人生に幕を閉じた。

そんな伊藤と今回、江村さんのおかげでご縁を頂くことができ、記事にさせて頂いている事を心からうれしく思い、また国民の一人として心から誇りに思っている。

 

ところで、上記写真2枚めは伊藤の退役記念パーティーの一コマである。

司会の方から、

「最後に、少年工科学校生徒出身者の方は、舞台に上がって校歌斉唱しましょう!」

とアナウンスが為されたら、会場の8割がたが舞台に上がってしまったそうだ(笑)

そのため上がりそびれた人も多かったようだが、これもまた、少年工科学校の出身者らしいエピソードである。

仲間の危機、仲間の喜び、仲間の昇任、仲間の退役・・・

少年工科学校出身者のオッサンどもは、いい年をしてそれを、自分のことのように喜び、また悲しみ、立場を変えてもいつでも、こうやって全国から駆けつける。

ハッキリ言って、何一つ得するようなことがないにも関わらず、だ。

これこそが、損得ではない人と人との繋がりであり、絆の深さではないだろうか。

そしてここにこそ、私たち日本人の「古めかしい」価値観と強さがある。

”温故知新”といえばますます昭和のオッサン臭いが、ぜひこんな世界があることを、一人でも多くの人に知ってもらいたいと願っている。

 

最後に、飲み会の席で伊藤に聞いたお話をご紹介して、このコラムを終わりにしたい。

私は伊藤に、

「40年にも渡る自衛官生活で、一番印象に残った任務は何でしたか?」

とお聞きしたのだが、その回答がとても心に刺さった。

伊藤は少し考えてから、

「兵庫県南部地震(阪神大震災)で、災害派遣に赴いたことでしょうか」

と話してくれた。

阪神大震災が発災したのは、平成7年1月のことだ。

当時の伊藤は、幹部自衛官に任官してわずか3年後であり、初級幹部として第3後方支援連隊にあって、運用訓練幹部の2等陸尉であったそうだ。

そしてあの未曾有の大地震をまさに現地で体感するのだが、発災後、連隊長以下の各幕僚・部隊長は、王子動物公園の前方指揮所に前進せよとの命令が下る。

 

この時、各部隊の残留指揮官は副長クラスであったそうだが、伊藤の部隊では、隊長の命で伊藤が残留指揮官を命じられることになったそうだ。

隊長室を指揮所にして、2等陸尉でありながら2等陸佐の職責を与えられ隊長席に座るという、文字通り異例の大抜擢であった。

この時を振り返り、伊藤は隊長からかけられた「宜しく頼む」の一言が忘れられないと、語ってくれた。

そして、

「ナポレオンでしたでしょうか・・・誰の言葉か忘れましたが、階級は人を育てるという言葉を、この時ほど理解できたことはありませんでした。不思議とその席に着くと業務パートの人事、情報・保全、防衛・教育訓練、後方・兵站までの全ての分野を、俯瞰することができました」

と語ってくれた。

 

さらに、

「とはいえ、当時の私はまだAOC(Advance Officer’s Course=幹部上級課程)前であったため、指揮統率の術を理解したとはとても言えない未熟者でした。」

と言葉を継ぎ、何ができて何ができなかったのか。

緊急時に在って人はどのように振る舞うべきなのか。

また、緊急時だからこそ学べた数々の教訓について、一般人である私に、熱を帯びて語ってくれた。

本当にもったいなく、身震いしながらお聞かせ頂き、そして自衛官の熱意と誠意、献身と責任感に、改めて心が震える思いであった。

(なお、話の半分は難しくて理解できなかったことは、ここだけの話である・・・)

そして翌日、高等工科学校 創立64周年記念行事にご一緒させて頂き、江村さんから、

「栄(伊藤元2佐)のことも、記事にしちゃいなよ(笑)」

とそそのかされて、その気になって記事に起こしてしまった・・・。

それがこのコラムの全てである。

 

江村さんの、少年工科学校同期生に対する心からの愛情は、ぜひ多くの人に知って欲しい抗いがたい魅力がある。

そして少年工科学校卒業生たちの、同期生との絆の強さもぜひ、一人でも多くの人に知って欲しいと願っている。

なぜならそんな魅力的な学校と環境は今も、高等工科学校と名前を変えて武山の地で、志(こころざし)ある若者を待ち侘びているからだ。

高等工科学校の現役2年生を子に持つ保護者の方とは、習志野自衛隊協力会でもご一緒させていただいているが、息子さんは

「やりがいがあってたまらない」

と、高等工科学校での青春を謳歌しているそうだ。

ちなみにその息子さんとは、習志野駐屯地の夏祭りでも直接お会いしたが、精悍な顔立ちのイケてる17歳であった。

きっと彼も、40年後には今の伊藤元2佐のように熱い心はそのままに、無駄な角が取れた成熟した幹部自衛官になっているのではないだろうか。

 

以上、40年もの長きに渡り自衛官人生を務められて、定年退官をされたばかりの伊藤について、記事にさせて頂いた。

きっと伊藤は、その知見と経験、さらに熱意と体力を持て余し、今後も形を変えて人と社会の役に立つ人生を探し続けるのではないだろうか。

そんな伊藤と、愛すべき少年工科学校第26期生の皆様との交流は、今後もどんどん、記事にして、さらに自衛隊の魅力を一人でも多くの国民に「布教」していきたいと思っている。

 

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。

(画像提供:少年工科学校第26期・江村様)

◆伊藤栄(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
55年4月 陸上自衛隊入隊(少年工科学校第26期)
59年3月 第6武器隊(神町)

平成
2年3月 第6後方支援連隊(神町)
4年3月 第3後方支援連隊(千僧)
7年1月 兵庫県南部地震(阪神大震災)指揮所
9年3月 第3師団司令部(千僧)
11年3月 武器学校教育部弾薬科(土浦)
14年8月 武器学校教育部教務課(土浦)
17年3月 第7後方支援連隊第2整備大隊特科直接支援中隊長(東千歳)
20年3月 中央即応連隊第4科長(宇都宮)
21年8月 補給統制本部装備計画部(十条)
23年3月 東日本大震災後方指揮所
23年4月 東日本大震災後方支援
24年3月 第102全般支援大隊長(真駒内)
26年8月 補給統制本部火器車両部(十条)
28年3月 武器学校第2教育部弾薬科長(土浦)

令和
元年6月 武器学校付(土浦)
元年9月 定年退官

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6件のコメント

栄ちゃん、定年退官したんだ、知らなかった、幹部候補生学校時代によく一緒に久留米の街に飲みに行ってよく歌ったものだ。そういえば浜田省吾とか歌わしたらすごく上手かったな。長い自衛隊勤務ご苦労様でした。

拝見させて頂きました。素晴らしく編集されてますね❗️
栄にはセカンドライフもY.T.S魂を忘れないで頑張ってほしい奴です。江村とは群馬の田舎っぺですか?
(株)Manda企画の万

一万田さま、コメントありがとうございます!

>江村とは群馬の田舎っぺですか?
いえ、群馬のイケメン紳士です
( ゚∀゚)

55歳ですね。お疲れ様です。
伊藤栄さんのお隣に座っているのは福本幸士さんですか?ご無沙汰してます。
北の街より感謝しています。

コメントありがとうございました!
伊藤さんにお繋ぎさせてもらいます!
(≧∇≦)b

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