その若松が陸上自衛隊に入隊したのは平成4年3月。
1等陸佐に昇ったのが23年1月なので、36期組1選抜(1番乗り)となるスピード出世だ。
陸将補に昇ったのは29年12月だったので、こちらは36期組1選抜前期である29年8月に比べて、わずかに4ヶ月遅れの昇任となる2番手であった。
いずれにせよ、36期のトップエースであると言ってよいだろう。
(画像提供:陸上自衛隊東部方面隊公式Webサイト あずま1001号)
なおその若松。出身は鹿児島で、いかにも鹿児島人と言った貫禄のある将官らしい風貌だが、連隊長職はその地元である第12普通科連隊(国分)で経験。
第12普通科連隊は、数多くの離島を抱える鹿児島県という土地柄、機動力の向上と離島奪還訓練にも力を入れる、他の連隊とは明らかに異なる色合いを持つ独特の存在感を放つ。
言い換えれば、南西諸島方面における有事の際には、その連隊長経験は確実に活きるであろうということだ。
21世紀型の我が国を取り巻く有事は、南西方面の離島を想定せずには語ることができない。
その意味でも、偶然に地元鹿児島での連隊長ポストとはなったが、非常にエリートらしい補職を経ていると言ってよいだろう。
また余談だが、その若松。
ご母堂様を、この第12普通科連隊長職にあった2014年の8月に、失われている。
地元の鹿児島で、これ以上無いポストにあった時に、お母様を失われたことになるわけだが、もともと日本一の「尚武の地」である鹿児島県だ。
お母様からすれば、きっとご先祖様からお預かりした若松を立派に育て上げ、そしてこの世で見るべきものは全て見届けた上での、冥土への旅立ちだったのだろう。
近しい人を見送ることは本当に悲しいことではあるが、ご母堂様も若松も、きっと悔いのないお別れができたのではないだろうか。
では最後に、いつも通りその36期の人事の動向についてだ。
36期組は、2017年夏の将官人事で最初の将官が選抜されたばかりの世代であり、同期の最高位は陸将補ということになる。
そして2018年7月現在で、その陸将補にあるものは以下の通りだ。
松永浩二(第36期)・沖縄地方協力本部長(2017年8月)
德永勝彦(第36期)・第2施設団長(2017年8月)
堺一夫(第36期)・富士学校普通科部長兼富士学校諸職種協同副センター長(2017年8月)
藤岡史生(第36期)・北部方面総監部幕僚副長(2017年8月)
若松純也(第36期)・東部方面総監部幕僚副長(2017年12月)
南川信隆(第36期)・教育訓練研究本部訓練評価部長(2018年3月)
※肩書は全て2018年7月現在。( )は陸将補昇任時期。
以上のような状況になっており、まずは松永、徳永、堺、藤岡の4名が、36期では頭一つ抜けた状態と言ってよいだろう。
それを2番手グループで若松と南川が追い、今後の情勢次第ではいくらでも入れ替わる可能性があるのが、この6名ということになる。
そして、36期組の陸幕長候補はこの6名に絞られ、今後、最高幹部人事が検討されていくことになるだろう。
いずれにせよ、36期組は2018年度ではまだ、50歳にもならない年次にあたる「若手将補」だ。
今後10年、日本の平和と安全に貢献し続けていくであろう存在になることは確実であり、その動向には特に注目が集まる。
当サイトでも目を離さずにその活躍を追い、そして応援していきたい。
※
文中、自衛官及び関係者各位の敬称略。
(画像提供:陸上自衛隊東部方面隊公式Webサイト あずま1001号)
◆若松純也(陸上自衛隊) 主要経歴
平成
4年3月 陸上自衛隊入隊(第36期)
5年3月 第35普通科連隊(守山)
15年1月 3等陸佐
15年 月 第12普通科連隊中隊長(国分)
18年7月 2等陸佐
23年1月 陸上幕僚監部装備部装備計画課 1等陸佐
23年3月 幹部学校
24年3月 陸上幕僚監部運用支援・情報部運用支援課企画班長
26年3月 第12普通科連隊長(国分)
27年8月 陸上幕僚監部人事教育部募集・援護課長
29年12月 東部方面総監部幕僚副長 陸将補
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