【退役】小和瀬一(こわせ・はじめ)|陸上総隊幕僚長・第31期相当

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小和瀬一(こわせ・はじめ)は昭和38年1月生まれ、群馬県高崎市出身の陸上自衛官。

東京理科大学(電気工学)を卒業し、幹候68期を修了しているため、第31期相当の幹部ということになる。

出身職種は機甲科だ。

 

令和2年12月(2020年12月) 陸上総隊司令部幕僚長・陸将として長きにわたる自衛官生活に別れを告げ、制服を置いた。

前職は第14旅団長であった。

なお、第14旅団長時代の指導方針は以下の通りであった。

 

【統率方針】
即動必遂

【要望事項】
誇りを持て
心身を鍛えよ
力を結集せよ

(画像提供:陸上総隊司令部公式ツイッター

またひとり、国防にその人生を捧げ続けてきた幹部自衛官が自衛隊を去った。

2020年12月22日付けでご勇退をされた、小和瀬一・陸将だ。

小和瀬が自衛官になったのは、実に昭和53年4月であった。

少年工科学校(現・高等工科学校)はかつて、入学と同時に3等陸士に任官されたので、それから42年間、自衛官であり続けたということだ。

ちなみに、2021年1月に寄り道なしの1選抜で1等陸佐に昇任した幹部の場合、昭和54年度の生まれにあたる。

つまり小和瀬は、まさに今、国防の中枢を担う1佐クラスの幹部が生まれる前から自衛官として、国防に貢献し続けてきた幹部であったということだ。

そう思うと、改めて小和瀬のそのキャリアの凄さに驚かれるのではないだろうか。

さらに、その最終階級は陸将であり、国家から任された最後のポストは、陸上総隊司令部の幕僚長である。

これ以上はない程に誇りある階級であり、またポストを最後にご勇退の日を迎えられたその自衛官人生に、一国民として心からの敬意と感謝を申し上げたいと思う。

 

とはいえ・・・

正直、管理人(私)は、後輩の面倒見が良い世話好きEさん(少年工科学校OB)のおかげで、少年工科学校の卒業生がいくつになってもヤンチャなオッサンばっかりであることを知っている(笑)

そして何歳になっても、現在の立場、階級、役職・・・を超え、強い絆で結ばれていることも。

あいにくのコロナ禍ではあるが、おそらく今頃小和瀬は、気のおけない同期たちと悪童に戻り、長かった自衛官生活を楽しく振り返っているのではないだろうか。

暖かくなった春頃には、きっとコロナも収まるだろう。

ぜひその頃には改めて、昔の仲間達と旧交を深めながら新たな道を歩まれることを心から願いたいと思っている。

 

小和瀬陸将、本当に長い間お疲れ様でした。

ありがとうございました。

陸将の誇りある自衛官人生と国家への多大な貢献は、多くの国民が知るところです。

ぜひ今後も、陸自のOBとしてご活躍されることを、心よりお祈り申し上げております。

重ねまして、本当にありがとうございました。

(以上、2021年2月14日最終更新)

 

※※※ 以下は、2018年12月7日以前に更新していた記事のアーカイブです ※※※

 


(画像提供:陸上自衛隊第14旅団公式Webサイト 広報しこく第139号※PDF注意)


(画像提供:陸上自衛隊第14旅団公式Webサイト

2018年12月現在、香川県善通寺市に司令部を置き、四国全域の防衛を担う第14旅団長を務める小和瀬だ。

15歳の春、陸上自衛隊少年工科学校第24期に入学し、自衛官の道を歩み始めたため、実に40年もの長きに渡り「自衛隊のメシ」を食っているベテラン中のベテランである。

そして陸曹に任官後、勤務の傍らで東京理科大学(電気工学)の夜学に学び大卒資格を取得。

改めて幹部候補生として受験をした上で幹候68期に学び、防衛大学校第31期相当として幹部のキャリアを歩み始めた最高幹部だ。

ただでさえ忙しい、陸曹として部隊に配置されたばかりの若者が、脇目もふらずに訓練と勉強に励んだ結果として昇りつめた幹部である。

小和瀬の鉄の意志と精神力を窺い知ることができる、そのキャリアと言ってよいだろう。

 

ところで、いきなりの余談で恐縮だが・・・。

平成の時代、今でこそそんなことはあり得ない(多分)のだが、昭和の時代の少年工科学校は、かなりアレな学校だった。

そもそもが、人生で一番血の気が多く、「力こそ正義」の15歳の頃に、中学を卒業しすぐに入学する学校だ。

いくら自衛官の子弟が多く、あるいは国防を志して入学した子供たちが多いとはいえ、いや、だからこそと言うべきか。

そこはやはり、上級生という絶対的な存在が支配する、恐怖の学園であったそうだ・・・。

1年生にとって3年生とは、何をされても逆らわない(逆えない)絶対神。しかし、2年離れているので体格差もあり、直接の危害は少ない。

1年生にとって2年生とは、同様に怖い存在だが、3年生にはヘコヘコする悪魔の手下のポジション。しかし身近にいるので、  殴る蹴るの暴行  ありがたいご指導は日常茶飯事だったっと聞いたことがある・・・。

想像してほしい。

中学を卒業したばかりの子供がいきなり全寮制の学校に入り、外部との接触は愚か、親や家族との連絡も制限され、日夜厳しい訓練とありがたいご指導の毎日を送るのである。

心が壊れそうになる気がしないだろうか。。

そんな中、培われるものといえば、やはり同期との絆だ。

心の拠り所となるものは、同じ境遇で同じ試練に立ち向かい、同じ目標を成し遂げようとする同期である。

だからこそ、少年工科学校の卒業生は何歳になっても、階級や補職に関わらず、あるいは退役し自衛官の身分を失った者とでも、鉄の絆で強い繋がりを持つそうだ。

そしてそんな実例を、とても幸運なことに管理人はかつて、教えていただく機会に恵まれることができた。

もう何年も前の話だが、そこで教えて頂いたお話や、見せて頂いた数々の写真などは、私にとって少年工科学校というものの存在と本質を知る上で、とても勉強になった。

そしてそこに写るオッサンどもは、★★とか★★★を付けてる偉い人なのに、どうみてもただの悪童であった。

そんなオッサンどもが活躍する陸上自衛隊を、もっと応援したいというきっかけになった出来事だったがぜひ、一般の人にももっと、この少年工科学校という組織を知ってほしい。

時代が変わり、少年兵を禁じる国際条約に加盟した関係で今は高等工科学校と名を変え、その生徒は自衛隊員であっても自衛官では無くなったが、本質は同じだ。

若くして生き方を定め、国防に青春を投じる覚悟を持った生徒たちとその卒業生の活躍を、そしてその一人である小和瀬という最高幹部の活躍に、これからも注目してもらえれば幸いだ。

 

ちなみに、その先輩後輩ということについて。

現役の将官の生徒出身者でいうと、小和瀬は24期で、その2こ下の26期には第1師団長の竹本竜司(第31期)がいる。

竹本は、生徒を卒業しすぐに防衛大学校に入ってるので、小和瀬とはまた違うキャリアをたどったが、いずれにせよ小和瀬の下で、「恐怖の下級生」を過ごしたことは間違いがないのだが・・・。

どうみても、この小和瀬の風貌は恐怖である。

だって55歳になった今も、どう考えても怖い。

上記画像の2枚めを見てほしい。いつにも増して、儀仗隊の緊張感が感じられないだろうか。

防衛政務官よりも、小和瀬の方がどう考えてもおっかなく見えるのではないだろうか。

もしかして、「政経中枢師団長」として、東京を中心とした首都圏の防衛を担う竹本も、かつてはこの  恐怖の大魔王  後輩思いの優しい先輩に数々の指導を受けたのだろうかと。

そんなことをついつい、考えずにはいられない・・・・。

 

では、そんな少年工科学校を卒業し最高幹部に昇った小和瀬とは、これまでどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

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6件のコメント

桃野様
私の敬愛成る大先輩を良いように書いて下さりありがとうございます。程々にしておかないと〇〇されますよ(笑)
この記事が上がった昨日、改めて古い書類をひっくり返し、相当カビ臭いまっ茶色のわら半紙『昭和55年4月8日付 群馬県人会名簿』を眺め懐古していました。小和瀬さんの同期はご本人含め9名です。
個人情報もヘチマも無い時代なので住所、電話番号から父上の名前等まで全部書いてあります(笑)

入校後しばらくすると、心細い1年生を励ます行事として県人会の集まりが有ります。
学校内に47都道府県全ての県木が植えてあるのですが、その樹木の袂で『茶話会』をやるのが伝統なのです。
※茶話会なんて言葉、この時に学びました(笑)
24期生は死ぬほど怖かったので、こちらから喋りかけるなんて死んでも出来ませんでした。目を合わすと背中に脂汗をかき緊張していたのを思い出します。
卒業後、幾らもせぬ内に退官した私からすると、42年間緑色の服を着ていたってのは神の領域です。
国の為に人生の半分以上を捧げた大先輩に敬意を表したくここに記します。
小和瀬さん、長い間『ご苦労様でした』←自衛隊風に
もしコロナが収まった後にご実家に帰る事が有れば、知っている26期生にご連絡下さい。
私に伝わると思われます。よろしくお願いいたします。(栄誉礼)

江村さん!
いつもありがとうございます。(^◇^)
そろそろコロナも収まってまいりましたな~
大阪行きましょう!早く!

第4級、5級防衛功労章の制定は、平成31年度以降だと思いますが、なぜこの方が佩用しているのでしょうか?
さかのぼって授与されるのであればOBを含む曹士全員に授与すべきと考えます。

ご指摘の通り、今回は過去に遡り曹士も含め全員の手に渡ります。予算の関係から逐次ではありますが。流石にOBは無理みたいです。ちなみに3級制定時は遡りませんでした。

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