その古田が航空自衛隊に入隊したのは平成11年3月。
防衛大学校女子1期生の最初の卒業年次が平成8年3月なので、古田は女子4期生ということになる。
原隊(初任地)は北部航空警戒管制団であり、同地で初級幹部として、厳しい自衛官生活のスタートを切っている。
(画像提供:航空自衛隊宮古島分屯基地公式Webサイト ※一般女性と子供には、当サイトでぼかし処理加工)
その後、早期警戒機や早期警戒管制機を運用し、防空の早期警戒にあたる警戒航空隊に転じると、平成20年4月には南西航空警戒管制隊に異動。
この南西航空警戒管制隊は那覇に所在し、宮古島や石垣島を含む先島諸島から、鹿児島の南部トカラ列島までを警戒監視する管制隊だ。
そして幹部学校での幹部教育、航空総隊司令部などでの勤務を経て、28年3月からは中部航空警戒管制団の防空管制隊長として指揮官ポストを経験する。
その後職として、29年8月に第53警戒隊長兼宮古島分屯基地司令に着任している。
この経歴を見ると、この重要な時期に、なるべくして宮古島分屯基地司令に選抜された事がよくわかるキャリアとなっている。
おそらく、初任地の次に配属となった警戒航空隊では、早期警戒管制機に実際に乗り込み、機上要撃管制の経験を積んだのではないだろうか。
そして南西航空警戒管制隊に転じると、今度は南西方面における地上管制を指揮し、上空・地上双方からの防空指揮能力を磨く。
そして中部方面隊隷下で管制隊長に着任し、指揮官ポストを経験。
機上管制、地上管制、指揮官ポストの全てを経験した後に、この宮古島に赴任し我が国の最前線の防衛にあたっているということだ。
ただ若くて美しいだけではない、これ以上はない適任のポストであると言ってよいだろう。
なお古田がこのポストを2019年の今、任されている意味は、実はまだあるのかもしれない。
宮古島や石垣島に配備される予定となっている12式地対艦ミサイルがどれだけ我が国の防衛に寄与するものであるのかは、先のページでご説明したとおりだ。
しかし、いくら優れた兵装といえども、これら地対艦ミサイルは、水平線の向こうにいる艦船に、単独で直接照準をすることはできない。
ちなみに水平線は、海面と同じレベルに立って海を見た場合、わずか5km先である。
20m嵩上げしたレーダーを持ってしても、16km程先までしか直接見通すことはできない。
ではこれら地対艦ミサイルはどのように直接照準をつけ、敵性勢力の海上艦船を無力化するのか。
それは、海上自衛隊や航空自衛隊の航空機から送られるレーダー情報による。
つまり、機上要撃管制部隊との連携が不可欠であるわけだが、おそらく古田には、警戒航空隊時代に、その機上要撃管制の経験があるはずだ。
そして、陸上自衛隊の宮古島駐屯地は2017年8月に着工したばかりであり、ちょうどその時に古田が宮古島分屯基地司令に着任している。
この人事は、陸自のミサイル部隊と航空自衛隊の要撃管制がどのように連携すれば、最高の成果を出すことができるのか。
そのことを目的とした現場調整の人事であったのではないだろうか。
そんなこともあり、この極めて厳しい時期に、この非常に困難な任務が、古田に任されたのであろう。
ぜひ、そんな意味合いでも、この若く美しい指揮官に注目して欲しい。
では最後に、その古田と同期である43期組の人事の動向について見ていきたい・・・ところだが、43期組は平成30年1月の人事で、最初の1等空佐が選抜されたばかりの年次だ。
そのため今回はそのご紹介は省略し、改めて将官が選抜される頃合いに加筆したい。
今回は、我が国の国防の最前線で、全く目立つこと無く、そして非常に大きな仕事をしている古田2等空佐のご紹介であった。
今後ともその活躍には注目し、そしてしっかりと応援していきたい。
※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。
(画像提供:航空自衛隊宮古島分屯基地公式Webサイト)
◆古田桂子(航空自衛隊) 主要経歴
平成
11年3月 航空自衛隊入隊(第43期)
11年9月 北部航空警戒管制団
16年4月 警戒航空隊
20年4月 南西航空警戒管制隊
21年4月 幹部学校付
22年3月 航空総隊司令部
24年3月 幹部学校
26年3月 航空幕僚監部教育課
28年3月 中部航空警戒管制団防空管制隊長
29年8月 第53警戒隊長兼宮古島分屯基地司令
31年1月 1等空佐
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