その深谷が海上自衛隊に入隊したのは昭和62年3月。
先述のように潜水艦の幹部であり、平成7年3月に潜水艦あきしお水雷長を務めたことを皮切りに、責任あるポジションを歴任している。
(画像提供:海上自衛隊阪神基地隊公式Webサイト)
(画像提供:海上自衛隊阪神基地隊公式Webサイト)
その後、職種部隊では、潜水艦なだしお機関長、潜水艦はましお副長を経て、平成15年3月 には潜水艦さちしおの艦長に着任。
平成24年12月には、第1潜水隊司令に上番している。
なおさちしおは、1989年に就役し、2006年に除籍され、解体されている艦だ
深谷が艦長を務めたのは2003年から2004年であったので、おそらく最後から2番めの艦長であったのではないだろうか。
艦長ポストがこの誇りあるオールド・ネイビーであったわけだが、オールド・ネイビーに愛され、ツキももらった深谷はその後も活躍を続け、以降は海外での任務が目立つ。
先述のように、平成16年8月にはイラク戦争後における米中央軍の意向を探る大きな任務を帯びて米太平洋艦隊司令部連絡官に、20年7月には米中央軍司令部連絡官として現地に赴くなど、我が国の国益を直接担う大きな仕事を成し遂げた。
また平成26年3月には鹿児島地方協力本部長に着任しているが、これなども深谷の「ひとたらし」が窺えるようなポジションだ。
米軍の懐に入り込んで、様々な情報を収集する任務を任された深谷が、コミュニケーション能力に優れていないわけは無いのだが、同様に地本長ポストも類稀なコミュニケーション能力が要求される難しいポストである。
また28年3月には舞鶴教育隊の司令に着任するなど、後進の教育を任されるポジションも経験し、優れたリーダーシップと面倒見の良さでも手腕を発揮した。
そして29年8月から阪神基地隊の指令に着任し、大阪湾から紀伊水道にかけての海上の安全に目を光らせている。
まさに模範的海上自衛官とも言える、ジェントルマンシップに溢れた高級幹部の一人と言ってよいだろう。
では最後に、その深谷と同期である31期組の人事の動向について見てみたい。
31期組は、2018年夏の将官人事で最初の海将が選抜されたばかりの年次にあたる。
そして2019年3月現在で、その海将の任にあるのは以下の幹部たちだ。
酒井良(第31期)・大湊地方総監(2018年8月)
園田直紀(第31期)・航空集団司令官(2018年12月)
※肩書はいずれも2019年3月現在。( )は海将昇任時期。
以上のようになっており、まずは酒井と園田の2名が1選抜で海将に昇任し、同期の最高幹部人事の中心になっているといったところだ。
31期組の海将人事の場合、2019年3月までが「1選抜(前期・後期)」と呼ばれる昇任になるので、あるいはこの春の人事でもう1名が昇任するようなことがあれば、その3名を中心とした31期組海上幕僚長候補に関する人事ということになるのではないだろうか。
深谷については、海上自衛官に不可欠な米軍とのパイプに加え、豊富な現場経験、また優れたコミュニケーション能力に高い人格を窺い知ることができるキャリアなど、31期組を代表する海上自衛官だ。
今後も関連する部署で、さらに重い責任を担い、活躍を続けていってくれるのではないだろうか。
その動向は要注目であり、変わらず今以上の応援を続けていきたい。
※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。
(画像提供:海上自衛隊阪神基地隊公式Webサイト)
◆深谷克郎(海上自衛隊) 主要経歴
昭和
62年3月 海上自衛隊入隊(第31期相当)
平成
7年3月 潜水艦あきしお水雷長
9年3月 潜水艦なだしお機関長
11年3月 海上幕僚監部防衛課
13年2月 潜水艦はましお副長
15年3月 潜水艦さちしお艦長
16年8月 米太平洋艦隊司令部連絡官
20年7月 米中央軍司令部連絡官
24年12月 第1潜水隊司令
26年3月 自衛隊鹿児島地方協力本部長
28年3月 舞鶴教育隊司令
29年8月 阪神基地隊指令
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