諏訪国重(すわ・くにしげ)|第35期・第73戦車連隊長

Pocket

その諏訪が陸上自衛隊に入隊したのは平成3年3月。

1等陸佐に昇ったのが22年7月であったので、1選抜後期(1番手グループ)となるスピード昇任だ。

原隊(初任地)は北恵庭に所在する第72戦車連隊であり、同地で厳しく、初級幹部として自衛官生活のスタートを切った。

その後職種部隊では、平成10年8月に富士学校機甲科部を経て、先述のように22年8月から第6戦車大隊長兼大和駐屯地司令に着任。

スタッフや幕僚のポストでは自衛隊体育学校企画室、陸上自衛隊研究本部などで要職を歴任した他、27年8月からは自衛隊富山地方協本部長を務めているのも印象的だ。

また中央(陸上幕僚監部)では、教育訓練部の教育訓練計画課、装備部の装備計画課を経て、班長ポストは人事部募集・援護課の援護班長と人事教育部募集・援護調整官の双方で務めた。

そして平成31年3月から第73戦車連隊長に着任し、我が国の最精鋭機甲科部隊を率いる指揮官として、辣腕を振るっている。

機甲科の指揮官としてはもとより、人事系の任務にも強さを発揮する、35期を代表する幹部の一人であると言ってよいだろう。

 

では最後に、その諏訪と同期である35期組の人事の動向について見てみたい。

35期組は最初の陸将補が2017年夏の将官人事で選抜されたばかりの年次だ。

そのため2019年7月現在では、1選抜の幹部が陸将補ということになるが、以下の幹部たちがその重責にあたっている。

 

井土川一友(第35期)・北部方面総監部幕僚副長(2016年7月)

上田和幹(第35期)・需品学校長兼ねて松戸駐屯地司令(2016年7月)

遠藤充(第35期)・第3施設団長(2016年7月)

戒田重雄(第35期)・第1空挺団長兼ねて習志野駐屯地司令(2016年7月)

坂本雄一(第35期)・中部方面総監部幕僚副長(2017年3月)

武田敏裕(第35期)・富士学校機甲科部長(2017年8月)

青木誠(第35期)・陸上幕僚監部監察官(2017年8月)

垂水達雄(第35期)・第2師団副師団長(2018年8月)

※肩書は全て2019年7月現在。( )は陸将補昇任時期。

 

以上にような状況になっており、まずは井戸川、上田、遠藤、戒田の4名に続き、坂本、武田、青木の3名が頭一つ抜けている状況だ。

この7名については恐らく、陸将まで昇り要職を歴任していく最高幹部となるのではないだろうか。

 

諏訪については、機甲科を率いる優れた指揮官という顔以外に、その経歴から、募集と援護(自衛官の再就職)にも強みを発揮する幹部であることは間違い無さそうだ。

募集と援護は、平時における戦いの最前線ともいうべき要職であり、なおかつその任務が務まるのは、知識・経験に優れていることはもちろん、人間的魅力にも溢れている必要がある要職中の要職である。

そんなポジションを歴任してきた諏訪は、今後も人を扱い、また人を育てるポジションでさらに重い責任を担っていくことになるのではないだろうか。

 

いずれにせよ、35期組は2020年代後半にかけて、我が国の国防の中心になる世代である。

その活躍には今後も注目し、そして応援していきたい。

 

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。

 

◆諏訪国重(陸上自衛隊) 主要経歴

平成
3年3月 陸上自衛隊入隊 (第35期)
3年9月 第72戦車連隊(北恵庭)
10年8月 富士学校機甲科部(富士)
12年8月 幹部学校(目黒)
14年8月 自衛隊体育学校企画室(朝霞)
16年8月 陸上幕僚監部教育訓練部教育訓練計画課(市ヶ谷)
20年3月 陸上幕僚監部装備部装備計画課(市ヶ谷)
22年7月 1等陸佐
22年8月 第6戦車大隊長兼大和駐屯地司令(大和)
23年12月 陸上幕僚監部人事部募集・援護課援護班長(市ヶ谷)
26年3月 陸上自衛隊研究本部(朝霞)
27年8月 自衛隊富山地方協本部長
29年8月 陸上幕僚監部人事教育部募集・援護調整官(市ヶ谷)
31年3月 第73戦車連隊長

Pocket

4件のコメント

私がこの人の名前を見た時、一瞬長野県の諏訪地域を支配していた諏訪氏の末裔かと思いました。実際に諏訪盛重や諏訪頼重と言った武将も居ましたし。

と話は逸れましたが、私が偶然富山地方協力本部長時代のプロフィールを遊び半分で撮影したのが残っていて、平成26年3月に研究本部研究員で平成27年8月に富山地方協力本部長になっています。後、Wikipediaによると29年3月に陸幕人事教育部募集・援護調整官になっています。その為、前にyoutubeで平成29年度の高等工科学校の入校式の映像で来賓に諏訪一佐が出席していて、富山で入隊・入校激励式もあり、富山県出身の工科生にしたら2度も同じ人から激励を受けたことになります。

それで、一番大事な生年月日ですが、昭和41年10月10日(富山地方協力本部長時代のプロフィールから抜粋)で第1次東京五輪から2年後が誕生日という事で本来なら防大33期のはずですが、何かの事情で35期での入校になったんでしょうね。(ちなみに前任の富山地本本部長も35期で同期です)。と長々となりましたが、ちょっと気になったので書き込みしてみました。

のりまきさん!
私も全く同じことを思いました。
北海道がご出身と言うことですが、もしかして長野の諏訪家の末裔ではないのか?と。
富山地本長時代のプロフィールをお持ちなのですね!
すごいですね・・・
私は手元にありませんので生年月日情報を更新できませんが、どこかで2回寄り道をされいるというのも興味深いです!
今度、小島元2佐に聞いてみます(笑)

12月1日付で2度目の地方協力本部長に着任しましたね。1佐から将補で2度の地本部長勤務はそれなりにありますが、1佐から1佐での地本部長はなかなか聞かないのでびっくりしました。

本当ですね、余り見ない異動ですね。
それにしても、連隊長の次に地本長につく異動パターンって多いですね。

コメントを残す