その五十嵐が陸上自衛隊に入隊したのは平成7年3月。
1等陸佐に昇ったのが29年1月であり、それから2年半ほどで現職に着任したことになる。
原隊は、我が国を代表する精鋭中の精鋭・習志野の第1空挺団である。
(画像提供:自衛隊秋田地方協力本部公式Webサイト)
(画像提供:陸上自衛隊秋田駐屯地公式Webサイト)
その後の職種部隊での活躍は、まさに特別なものとなっている。
中隊長ポストは、同じ第1空挺団で上番すると、平成14年からは第1空挺団の中にあって、特殊作戦群の立ち上げスタッフの一人に抜擢される。
ご存知のように、特殊作戦群はもはやレジェンドと言っても良い元自衛官・荒谷卓(第26期相当)・初代特殊作戦群司令が立ち上げた組織だ。
装備、人員、目的、訓練内容などあらゆることが秘匿されており、実際のところほとんど情報がない。
総合的に考えて、海上自衛隊の特別警備隊と同様に対テロ戦闘を想定している部隊であることは間違いないが、空挺基本降下課程を必須としていることから考えても、敵支配地域における撹乱、要人保護、人質奪還など、あらゆる危険な任務への投入を想定していることは間違いなさそうだ。
そして五十嵐は、この我が国を代表する特戦群の立ち上げに、荒谷のスタッフの一人として参加し、そして初代隊員としても活躍した。
さらに、大隊長ポストも同じ習志野の第1空挺団第3普通科大隊長で上番するなど、気合の入りまくっている職種部隊を務め上げ続けた。
またその間、スタッフや幕僚のポストでは、統合幕僚監部運用部、陸上幕僚監部装備部などを経て、第12旅団司令部では第3部長も任されている。
その他、平成25年には米中央軍に派遣され、連絡官を務めているのも極めて印象深い任務だ。
なお米中央軍とは、中東全域と中央アジアの一部地域をその担当地域に置く、米軍の組織単位である。
ご存知のように、イラク戦争以降の米軍は長きに渡り中東と中央アジアで戦闘を続けていることから、米中央軍の意向と動向は直ちに、世界の政治・経済情勢を流動化させる。
もちろん、敵対勢力に対する影響力だけでなく、同盟軍に対する要求や役割分担といった情報の入手は我が国にとっても直ちに国益に直結する重要事項である。
そしてその中央軍に派遣され、米軍と調整を行い、時には我が国の国益を代表して折衝を行う重要な任務が、米中央軍連絡官である。
かつてこの任務を任されたものは多くいるが、例えば航空担当では尾崎義典(第32期)・空将補、海上担当では伊藤弘(第32期)・海将補など、世界を相手に大きな仕事をした我が国を代表する自衛官ばかりだ。
この人事一つをもってしても、五十嵐が決して、筋肉マッチョなだけの単なる武闘派指揮官ではないことが、おわかり頂けるのではないだろうか。
そしてこれら誇りあるキャリアを引っさげて、令和元年8月に第21普通科連隊長兼秋田駐屯地司令に上番し活躍を続けている。
伝統と誇りあるこの21普連を任されるにふさわしい、心身ともに卓越し群を抜いている幹部自衛官の一人であると言ってよいだろう。
なお余談だが、たびたび書かせて頂いているように管理人(私)は、習志野自衛隊協力会の法人会員であり、また大阪防衛協会の賛助会員でもある。
そのため、多少なりとも第1空挺団の幹部曹士の皆様と接点があるのだが、やはり第1空挺団出身の幹部が連隊長に上番するとなると、駐屯地がザワつくそうだ(汗)
そして人事の内定が出ると、
「今度、ウチの連隊長に上番する○○さんとは、どんな人なのか」
といった問い合わせが、第1空挺団の隊員さんに多く寄せられるそうである。
第1空挺団は、時に「第1狂ってる団」とも揶揄されるほどに、その心身の充実度は陸自の中でも群を抜いている。
さらにその空挺団の中にあっても、特殊作戦群の立ち上げにも関わった男が連隊長に上番するとなれば、駐屯地がザワつかないはずがないだろう。
そして今、おそらく秋田駐屯地は五十嵐の指揮の下、さらに緊張感をもって任務に励んでいるのではないだろうか。
なお余談ついでだが、一般に第1空挺団と言えば規格外の筋肉マッチョであり、ラグビー日本代表のような筋肉ダルマを思い浮かべるかも知れない。
しかしその実は逆で、第1空挺団の幹部曹士に多い体格は、細マッチョだ。
上記1枚め、右側のハッピ姿の笑顔の人物が五十嵐だが、ご覧のように見た目はかなり細い。
もちろん、その内側には鍛え抜かれたしなやかな筋肉が隠されているわけだが、威圧感のある太い胸板とは無縁だ。
それもそのはずで、第1空挺団や特殊作戦群は、時に兵站が隔絶した戦闘地域に身を置き、長期間の特殊戦闘をその任務として求められることも想定している。
そのような時、作戦の遂行に必要ではない太い筋肉は多くのカロリーを消費し、また動きを鈍くしてしまう。
そのため、持ち込める戦闘糧食や水も限られた環境の中で長く戦うためには、目的に特化した体幹・体躯の作り込みが不可欠であり、そういった意味でも五十嵐の体格は、まさにプロフェッショナルのそれであることがおわかり頂けるのではないだろうか。
とはいえ、第1空挺団にももちろん、いろいろな役割があるので、ぶっちゃけものすごい筋肉をした筋肉ダルマな隊員さんもいるので、誤解のないようにお願いしたい。
そしてそれをもってして、第1空挺団に向いていないと言うわけではもちろん全く無く、筋肉ダルマだからこそできる任務も多くあるので、そこは併せてご了解頂きたいと思う。
では最後に、その五十嵐と同期である39期組の人事の動向について見てみたい・・・ところだが、39期組は2020年に最初の陸将補が選抜される年次であり、2019年11月現在では、1選抜の幹部でも1等陸佐だ。
そのため今がまさに、心当たりのある1佐にとっては、1年後を目指して追い込みの時期だろう。
同期には数多くの1等陸佐がいるために、今回は個別の紹介は割愛したい。
五十嵐については、これほどのキャリアを誇る幹部である。
あるいは今後も、第1空挺団や特殊作戦群に関わるポジションで活躍をすると思うのだが、誤解を恐れずに言うと五十嵐は、将官に昇ることは無いのではないだろうか。
例えば海上自衛隊には、海自を代表するような最新・最精鋭の護衛艦艦長を歴任する「艦方(ふなかた)」と呼ばれる人達がいる。
極めて優秀な艦乗りではあるが、将官に昇ること無く1等海佐のままで現場の最高ポストを渡り歩く、まるでアメリカドラマの主人公のような軍人だ。
そしてアメリカ人は将官に昇るエリートを悪く描き、現場を指揮する大佐クラスをカッコよく描くのが大好きだが、まさにそのような生き方をするのが「艦方(ふなかた)」という幹部たちである。
そして五十嵐も、いわば「艦方」のように、今後もその卓越し突出した心身を活かし、退役の時まで現場で指揮を執り続け、あるいは組織づくりの現場に身を置き続けるのではないだろうか。
そして現場の幹部曹士から多くの尊敬を集め続け、さらに活躍を続けてくれることだろう。
残念ながら私は、五十嵐が習志野に在った時に接点がなかったので、まだお目にかかったことがない。
ぜひ近いうちに、副団長あたりのポジションで戻ってこられるような事があれば、その細マッチョの筋肉をベタベタ触らせて欲しいと思っている・・・。
いずれにせよ、五十嵐は現在の安全保障環境の中で今後10年、最前線に在って活躍をし続ける誇りある自衛官であり続けるだろう。
そんな五十嵐の活躍には特別の敬意を持って注目し、そして応援していきたいと願っている。
※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。
(画像提供:陸上自衛隊秋田駐屯地公式Webサイト)
◆五十嵐雅康(陸上自衛隊) 主要経歴
平成
7年3月 陸上自衛隊入隊(第39期)
7年 月 第1空挺団普通科群(習志野)
10年 月 第1空挺団本部中隊(習志野)
13年 月 第1空挺団普通科群(習志野)
14年 月 第1空挺団本部(専門部隊編成準備隊)(習志野)
16年 月 特殊作戦群(習志野)
17年8月 幹部学校・第51期指揮幕僚課程(目黒)
19年 月 特殊作戦群(習志野)
21年 月 統幕運用部(市ヶ谷)
23年 月 陸幕装備部(市ヶ谷)
25年 月 統幕運用部(米中央軍連絡官)(米国)
26年 月 第1空挺団第3普通科大隊長(習志野)
28年 月 幹部学校・第72期幹部高級課程(目黒)
29年1月 1等陸佐
29年8月 第12旅団司令部第3部長(相馬原)
令和
元年8月 第21普通科連隊長兼秋田駐屯地司令(秋田)
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