内野敏紀(中部方面特科隊長・1等陸佐)|第34期・陸上自衛隊

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内野が陸上自衛隊に入隊したのは平成2年3月。

平成10年には、熊本の健軍駐屯地に所在する第5地対艦ミサイル連隊に配属されているので、あるいは元々はFH-70などの野砲ではなく、地対艦ミサイルを指揮する野戦特科の幹部であったと思われる。


(画像提供:陸上自衛隊松山駐屯地公式Webサイト

野戦特科には大きく2つの種類があり、一つはFH-70などの大火力で侵攻する敵を面で制圧する野砲。

各地の駐屯地祭などで空砲を発射する、ばかデカいヤツである。

もう一つが、海上から侵攻してくるあらゆる敵性勢力をピンポイントで迎撃し、撃沈を企図する地対艦ミサイルを運用する部隊だ。

なぜこの2つが同じ野戦特科として括られているのか、自衛隊の外の人である管理人にはやや理解不足なところがあるが、いずれにせよこの2つの武器。

同じ野戦特科の括りであるために、かつて地対艦ミサイル部隊が「国防にそれほど貢献しない」と驚くべき政治判断を下された結果、同部隊からFH-70など野砲を指揮する部隊に幹部曹士が流れてしまったことがある。

2005年に策定された中期防衛力整備計画によるものだが、内野もまた、平成11年(1999年)の地対艦ミサイル部隊を最後に、同部隊から遠ざかっている形だ。

 

6つ存在した地対艦ミサイル部隊を段階的に3つに半減させるという、2018年現在の地対艦ミサイル部隊の拡充計画を考えると、全く理解しがたい政策であったが、幸いにもこの計画は短期間で撤回されることになった。

しかしその一方で、その短い期間にも地対艦ミサイル部隊から遠ざかった幹部も多く、国防上の大きな懸念材料になってしまったのではないか。

あるいは内野も、そういった幹部の一人であったのかも知れず、政治が主導して国防に大きな穴を開けた、痛恨の失策であったようにも思えてならない。

このような事が関係するのかどうか、詳細まではわからない。

内野はその後、第4特科連隊中隊長や第9特科連隊大隊長など、野砲部隊の幹部として活躍し、30年3月、初代となる中部方面特科隊長に着任し重い責任を任されている。

 

では最後に、その内野の同期である34期組の動向を簡単にご紹介しておきたい。

第34期は、2015年に最初の陸将補が選抜された年次にあたる。

そして2018年8月現在で、陸将補の任に在るのは以下の幹部だ。

 

荒井正芳(第34期)・自衛隊東京地方協力本部長 2015年8月

柿野正和(第34期)・陸上幕僚監部監理部長 2015年8月

小林弘樹(第34期)・統合幕僚監部運用部副部長 2015年8月

橋爪良友(第34期)・陸上総隊司令部運用部長 2015年8月

佐藤真(第34期)・第1師団副師団長兼ねて練馬駐屯地司令 2016年3月

鳥海誠司(第34期)・陸上自衛隊教育訓練研究本部教育部長 2016年7月

松永康則(第34期)・中部方面総監部幕僚副長 2017年3月

大場剛(第34期)・第4師団副師団長 2017年8月

※肩書はいずれも2018年8月現在。末尾数字は陸将補昇任時期。

※2018年8月の昇任陸将補人事は期別未確認のため、追記する可能性あり。

 

以上のように、まずは荒井、柿野、小林、橋爪の4名が頭一つ抜けた状態であって、第34期の最高幹部人事の中心になっていきそうな状況となっている。

 

内野については、あるいは今後、地対艦ミサイル部隊の拡充に伴いさらに活躍の場を広げていく場面があるかも知れない。

陸自大改革の行方と併せて、その動向には注目し、そして応援していきたい。

 

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。


(画像提供:陸上自衛隊松山駐屯地公式Webサイト

◆内野敏紀(陸上自衛隊) 主要経歴

平成
2年3月 陸上自衛隊入隊(第34期)
5年3月 特科教導隊(富士)
9年8月 西部方面通信群付(健軍)
10年3月 第5地対艦ミサイル連隊(健軍)
11年3月 第4特科連隊中隊長(久留米)
12年8月 幹部学校(目黒)
14年8月 幹部候補生学校(前川原)
16年3月 第1師団司令部第3部(練馬)
18年8月 統合幕僚監部(市ヶ谷)
20年8月 第9特科連隊大隊長(岩手)
22年3月 東北方面総監部(仙台)
24年3月 幹部学校(目黒)
25年1月 1等陸佐
25年3月 富士学校主任教官(富士)
27年3月 西部方面総監部人事課長(健軍)
29年3月 第14特科隊長兼ねて松山駐屯地司令(松山)
30年3月 中部方面特科隊長兼ねて松山駐屯地司令(松山)

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