その伍賀が海上自衛隊に入隊したのは平成3年3月。
1等海佐、海将補に昇ったのがそれぞれ22年1月、28年7月であったので、ともに35期組1選抜(1番乗り)となるスピード出世だ。
将官に昇る幹部の数が少ない海上自衛隊において、1選抜で将官に昇るのは文字通り、同期でを代表する最高幹部の一人であると考えてよいだろう。
(画像提供:海上自衛隊公式Webサイト)
艦長ポストを経験したのは、当時退役間近であった3000トンクラスのDDはつゆき。
なおはつゆきは、伍賀が艦を降りて1年後にその役割を終え、静かに退役となっている。
退役間近のOld Navyを愛し、そして艦に愛され運を貰った伍賀はその後、第3護衛隊司令、第1護衛隊群司令と順調に、水上艦艇指揮官としてキャリアを重ねる。
またその間、中央(海上幕僚監部)では班長ポストを指揮通信課の指揮通信班で、課長ポストはエリートど真ん中の防衛課で務めた。
また少し変わったところでは26年11月からは情報本部の情報官も任されるなど、幅広い分野で活躍。
そして29年8月、護衛艦隊司令部の幕僚長を務めて我が国の主力部隊の運用を担うと、後職として30年8月に海上幕僚監部の総務部副部長に着任し、その辣腕を振るっている。
同期1選抜らしい、絵に描いたようなキャリアを駆け上がってきた最高幹部と言ってよいだろう。
では最後に、その伍賀と同期である33期組の人事の動向について見てみたい。
35期組は2016年夏の将官人事で、最初の海将補が選抜された年次にあたる。
そして2019年1月現在で、その海将補の任にあるのは以下の幹部たちだ。
松本完(第35期)・航空集団司令部幕僚長(2016年7月)
伍賀祥裕(第35期)・海上幕僚監部総務部副部長(2016年7月)
八木浩二(第35期)・護衛艦隊司令部幕僚長(2017年8月)
※肩書はいずれも2019年1月現在。末尾は海将補昇任時期
以上のようになっており、まずは伍賀と松本が35期を代表する最高幹部として、近い将来の海上幕僚長候補という意味を含め、活躍をしている状況だ。
伍賀は水上艦艇を、松本は航空畑を代表して、これからも切磋琢磨し我が国と世界の平和のために貢献をし続けてくれるだろう。
特に伍賀については、先述のように2017年5月の朝鮮半島危機に際し見事な外交を重ね、東南アジア諸国でも我が国のプレゼンスを大きく示す活躍を見せた実績が光る。
そういった意味でもますますその存在感は高まり、さらに要職に昇り、重い責任を担っていくことは確実な最高幹部だ。
その動向は、大きくは世界平和にも影響を与える、注目の自衛官の一人である。
今後ともその活躍からは目を離さず、そしてしっかりと応援していきたい。
※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。
(画像提供:海上自衛隊公式Webサイト)
◆伍賀祥裕(海上自衛隊) 主要経歴
平成
3年3月 海上自衛隊入隊 (第35期)
14年1月 3等海佐
17年7月 2等海佐
19年3月 第4護衛隊群幕僚
20年3月 はつゆき艦長
21年3月 統合幕僚監部防衛課
22年1月 1等海佐
23年8月 海上幕僚監部指揮通信課指揮通信班長
25年8月 第3護衛隊司令
26年10月 海上幕僚監部運用支援課
26年11月 情報本部情報官
27年8月 海上幕僚監部防衛課長
28年7月 第1護衛隊群司令 海将補
29年8月 護衛艦隊司令部幕僚長
30年8月 海上幕僚監部総務部副部長
管理人様、いつも記事の更新・管理お疲れさまです。楽しく読ませていただいております。
さて、先ほどwから始まる某巨大データベースサイトをサーフィンしておりましたところ、かつて海上自衛隊に、こちらの伍賀海将補と同じ苗字・岡山県出身の伍賀守雄元海将(海兵61期・練習艦隊司令官や幹部候補生学校長を経て海上幕僚副長で退官)という方がいらしたことを知り、珍しい名字なのでもしかして血縁者かもしれないと思い、こちらにコメントしてみました。
ちなみに、調べたところ海兵61期は1933(昭和8)年11月卒業だそうで、そうするとおそらく1930年入校となりますが、16~19歳の入校年齢制限があったことから伍賀元海将は1911(明治44)~1914(大正3)年ころの生まれとなり、仮に血縁だったとしても1968(昭和43)年生まれの伍賀海将補とは祖父と孫ほどの年齢差があるようです。
…とまあ長々と書いてしまいましたが、仮に血縁関係がなかったとしても何らかのロマンを感じずにはいられず、このような投稿となってしまい、大変失礼いたしました。今後も楽しみにしております。
おぉ~興味深いお話ですね!
ただでさえ、自衛隊は2代、3代と続いている方が多いですので、きっと血縁の方のような気がします。
とはいえ、さすがに根拠はありません
(^_^;)
貴重な情報、ありがとうございました!