【退役】柴田昭市(防衛装備庁長官官房装備官・陸将)|第29期・陸上自衛隊

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その柴田が陸上自衛隊に入隊したのは昭和60年3月。

1等陸佐、陸将補に昇ったのはそれぞれ平成16年1月、22年7月であったので、29期組1選抜となるスピード出世だ。

陸将に昇ったのは29年3月であったので、こちらも1選抜後期(1番手グループ)での昇任となる、堂々の陸将昇任であった。

(画像提供:陸上自衛隊第1師団公式フェイスブック

原隊(初任地)は、機甲科の聖地である第7師団隷下、北恵庭に所在する第72戦車連隊の小隊長。

以降職種部隊では、中隊長ポストを同じ北恵庭に所在していた第1戦車群で、大隊長ポストを滋賀県の今津に所在する第10戦車大隊で、連隊長には大阪の信太山に所在する第37普通科連隊で上番している。

また中央(陸上幕僚監部)では、班長ポストを人事部人事課の企画班で、課長ポストを教育訓練部教育訓練計画課で、部長ポストは陸上幕僚監部開発官でそれぞれ着任した。

なお陸幕開発官は、2014年3月から2015年10月までのわずか1年半しか存在しなかったポストなので、知っている人はほとんどいないのではないだろうか。

位置づけとして、おそらく2015年10月に発足した防衛装備庁の準備室という役割を担ったものと思われ、当時存在した装備部の開発課を昇格させたような機能を担った。

そして陸将補に昇任後は、東北方面総監部幕僚副長を皮切りに、全軍の規律をチェックする非常に重要なポストである防衛監察本部監察官、富士学校に所在し装備品の開発や実験を行う開発実験団の団長など、全軍を俯瞰する能力が求められる極めて重要なポストを歴任。

27年8月には第14旅団長、29年3月に第1師団長と、非常に名誉ある指揮官ポストで重い責任を担うと、30年8月には防衛装備庁の長官官房装備官に着任し、陸上自衛隊の装備品開発にかかる全責任を担っている。

文字通り、我が国を代表する極めて重要な自衛官の一人であり、日本の宝と言うべき最高幹部の一人と言ってよいだろう。

 

ところで一つ、柴田の昇任について「あれ?」と思った人がいれば、かなりの自衛隊通だ。

通常陸上自衛隊では、陸将補に1選抜で昇任した4人の幹部が、そのまま陸将にも1選抜で昇任することが多い(※2018年夏の将官人事からは、幹部自衛官の定年延長の影響で少し流れが変わっている)。

一方柴田は、陸将補は1選抜であったのに陸将昇任は1選抜後期で、代わりに1選抜陸将補に名前がなかった納富 中(第29期)が1選抜で陸将に昇任した。

これは実は、柴田がヘマをやらかして納富に抜かれたから・・・というわけではもちろん無い。

じつは納富は、1選抜陸将補よりも2年も早い平成20年6月に陸将補に昇っている。

外務省に出向し、米国駐在の防衛駐在官として赴任するためだ。

そのため、29期組本来の1選抜の時期に納富は自衛隊に籍がなく、陸将補の定員の外であったので、納富を除く4名が1選抜で陸将補に昇任。

その後、納富が自衛隊に籍を戻したので、この5名の中から1選抜の陸将4名が選ばれることになった、というのがこの間の経緯だ。

たまに、外務省や内閣府などにワープする隠れキャラの最高幹部がいるので、将官人事で意表を突かれることがある・・・。

そんな制度や人事の運用もある、という豆知識までに、参考にして頂ければ幸いだ。

 

では最後に、その柴田と同期である29期組の人事の動向について見てみたい。

29期組の将官は、一部で既に勇退も始まっている年次であり、今まさに、我が国の平和と安全に最も重い責任を担っている世代だ。

そして2019年2月現在で、29期組で陸将に在るのは以下の最高幹部となっている。

 

上尾秀樹(第29期)・東北方面総監(2016年7月)

高田克樹(第29期)・東部方面総監(2016年7月)

本松敬史(第29期)・統合幕僚副長(2016年7月)

納富 中(第29期)・防衛大学校幹事(2016年7月)

柴田昭市(第29期)・防衛装備庁長官官房装備官(2017年3月)

山内大輔(第29期)・陸上自衛隊補給統制本部長兼ねて十条駐屯地司令(2017年3月)

清田安志(第29期)・第6師団長(2017年8月)

岩村公史(第29期)・第9師団長(2018年8月)

権藤三千蔵(第29期)・陸上自衛隊関東補給処長兼ねて霞ヶ浦駐屯地司令(2018年8月)

※肩書はいずれも2019年2月現在。( )は陸将昇任時期。

 

以上のようになっており、あくまでも2019年2月現在での状況だが、29期組からは上尾と高田の2名が先に方面総監に着任し、一歩抜け出した形になっている。

ただ、本松と納富もまだまだ、方面総監に着任する可能性があり、またそうなると陸上総隊司令官に着任する可能性もあるなど、この4名はほとんど差がないと考えてよいだろう。

 

柴田については、現職が技術系の幹部として最高位とも言うべきポジションにある。

また着任時期を考えても、あるいは防衛装備庁長官官房装備官のポストを最後に退役し、長かった自衛官生活に別れを告げる可能性が高いのではないだろうか。

とても寂しいことだが、どれほど優れた最高幹部にも必ず訪れる退役の瞬間が、近づいているのかもしれない。

とはいえ現に、極めて重い職責を担い、我が国の将来に渡る安全保障に大きな影響を与える

任務に、全力であたっているまさに真っ只中だ。

そのためその活躍はまだまだ要注目であり、その動向にはもちろんこれからも注目していきたいと思う。

そしていつまでも、全力で応援していきたいと願っている。

 

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。

(画像提供:陸上自衛隊第1師団公式フェイスブック

◆柴田昭市(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
60年3月 陸上自衛隊入隊(第29期)
60年9月 第72戦車連隊小隊長(北恵庭)

平成
8年1月 3等陸佐
8年3月 第1戦車群中隊長(北恵庭)
11年1月 2等陸佐
11年8月 第10戦車大隊長(今津)
16年1月 幹部学校付 1等陸佐
16年7月 統合幕僚学校教官
17年8月 陸上自衛隊幹部学校教官
17年12月 陸上幕僚監部人事部人事課企画班長
19年12月 第37普通科連隊長(信太山)
21年3月 陸上幕僚監部教育訓練部教育訓練計画課長
22年7月 陸将補
22年12月 東北方面総監部幕僚副長(仙台)
24年1月 防衛監察本部監察官
25年8月 開発実験団長(富士)
26年8月 陸上幕僚監部開発官
27年8月 第14旅団長(善通寺)
29年3月 第1師団長 陸将
30年8月 防衛装備庁長官官房装備官

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3件のコメント

金属物理の森勉東工大名誉教授のもとで学位をとられたはずです。
柴田さんと連絡を取りたいので現在の連絡先をご存知の方へのお願いです。
小生も森先生にお世話になったものです。

noi様、コメントありがとうございました!
何らかの公表資料などで確認できている情報だけを載せている関係で、中には不十分なキャリアになっていることもあろうかと思います。
お詫びします。

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