【退役】糟井裕之(自衛艦隊司令官・海将)|第29期・海上自衛隊

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その糟井が海上自衛隊に入隊したのは昭和60年3月。

1等海佐に昇ったのが16年1月、海将補に昇ったのが22年7月であったので、それぞれ29期組1選抜(1番乗り)となるスピード出世だ。

海将に昇ったのは28年12月であったので、こちらは同期1番乗りから4ヶ月遅れとなるが、言うまでもなくトップエリートの海上幕僚長候補である。

(画像提供:海上自衛隊護衛艦隊司令部公式Webサイト

2等海佐以降のキャリアでみると、艦長ポストは護衛艦ちくまで務め、護衛隊司令ポストは第7護衛隊と第4護衛隊で、護衛隊群司令ポストは第1護衛隊群でそれぞれ務めた。

またスタッフや幕僚のポストは、大湊地方総監部幕僚長、護衛艦隊司令部幕僚長などで手腕を発揮。

中央(海上幕僚監部)では装備体系課を経て、班長ポストを防衛部防衛課の業務計画班長で、課長ポストは人事教育部補任課長で、部長ポストは人事教育部長でそれぞれ要職を歴任した。

そして平成28年12月に海将に昇ると護衛艦隊司令官を任され、その後職として31年4月に自衛艦隊司令官に着任。

海上自衛隊の事実上の最高指揮官とも言えるポストに就き、日本と世界の平和のために全力を尽くしている。

海上自衛隊のみならず、我が国を代表する最高幹部の一人であると言ってよいだろう。

 

なお余談だが・・・

この世界屈指の海軍戦力を率いる糟井は、実は海無し県である滋賀県の出身であるのだから驚きだ。

そしてこのようなサイトをしていると、自衛隊の高級幹部について色々と気がつくことがあるのだが、滋賀県出身の将官そのものがものすごくレアである。

例えば陸自の場合、100名を超える将官がいて、こちらで一覧でご紹介しているのだが、

【高級幹部】陸上自衛隊 陸将名簿氏名一覧|2018年6月版

【高級幹部】陸上自衛隊 陸将補名簿氏名一覧|2018年6月版

滋賀県出身の将官は、なんと0である。

いくらなんでも一人くらいいて欲しいと願う管理人が、実は滋賀県の出身だ。

おそらくこの理由には心当たりがあり、滋賀県は伝統的に左派勢力の強い土地柄である。

管理人自身、もうずいぶんと遠い昔の話だが中学生時代、公立校の教壇に立つ教師から

「自衛隊は違憲」「解散するべき」

という捻じ曲がった持論をずいぶんと聞かされた。

そのたびに、公立校の授業中に個人的な政治思想を流布する行為は不適切だと教師に抗議をし、そして毎回授業を潰すほどのケンカをしたことをよく覚えている。

教師によるそんな行為が許容される土地柄であれば、自衛官になろうというものも、なかなか出にくいのではないだろうか。

非常に残念なことだが、平成も終わろうとする2019年には、このような前近代的な教師が教壇から一掃されていることを願ってやまない。

 

では最後に、その糟井と同期である29期組の人事の動向について見てみたい。

29期組は、2016年に最初の海将が選抜され、同期の海幕長候補も出揃っていると言っても良い状況にある。

そして2019年4月現在では、以下の幹部たちが海将の任にあたっている。

 

渡邊剛次郎(第29期)・横須賀地方総監(2016年7月)

糟井裕之(第29期)・自衛艦隊司令官(2016年12月)

杉本孝幸(第29期)・呉地方総監(2017年8月)

大島孝二(第29期)・海上自衛隊補給本部長(2017年12月)

中尾剛久(第29期)・舞鶴地方総監(2017年12月)

※肩書はいずれも2019年4月現在。( )は海将昇任時期。

 

以上のようになっており、ご覧のようにその全てが、国家の安全保障に直結する要職ばかりだ。

近い将来の海上幕僚長候補たる、堂々とした顔ぶればかりである。

 

糟井については、もはやここまで昇りつめたからには、後職は1つだけである。

海上幕僚長に昇るか、退役かだ。

他のポストに異動することはまずありえない。

そういった意味では、海上幕僚長に1期上の山村浩(第28期)が着任したことから、28期組からの海上幕僚長着任は可能性が少し遠のいている状況であると言えるかも知れない、という状況だ。

とはいえ、まだまだ先のことは予想がつくものではない。

まずは、滋賀県出身者として自衛艦隊司令官に昇った糟井の活躍を心から楽しみに、その動向を追いかけていきたい。

そしてこれまで以上に、応援していきたいと願っている。

 

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。

(画像提供:海上自衛隊公式Webサイト

◆糟井裕之(海上自衛隊) 主要経歴

昭和
60年3月 海上自衛隊入隊(第29期)

平成
8年1月 3等海佐
11年7月 2等海佐
13年8月 護衛艦ちくま艦長
14年8月 海上幕僚監部装備体系課
16年1月 1等海佐
17年8月 海上幕僚監部防衛部防衛課業務計画班長兼幹部学校
19年10月 第7護衛隊司令
20年3月 第4護衛隊司令
20年12月 海上幕僚監部人事教育部補任課長
22年7月 海将補
22年8月 第1護衛隊群司令
24年7月 大湊地方総監部幕僚長
25年8月 護衛艦隊司令部幕僚長
26年8月 海上幕僚監部人事教育部長
28年12月 護衛艦隊司令官 海将
31年4月 自衛艦隊司令官

令和
2年8月 自衛艦隊司令官・海将として退役

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2件のコメント

私の父は教師で 滋賀県浅井町乗倉の出身で 私の生まれる前から 東近江市永源寺高野町に赴任していました。
糟井の性は少なく おそらく糟井裕之海将も乗倉のご出身ではないかと思い 大変興味を持って記事を拝読しました。記事の通り「世界屈指の提督」に心から敬意を表する次第です。私は糟井信吾と言いますが すでに齢も83歳になりましたが 今も永源寺で元気に趣味のHappooo Railway(八風鉄道)を楽しんでいます。

糟井信吾さま、このたびは大変興味深いコメントをありがとうございました。
私も滋賀の出身ですので、愛着を持って楽しく、ご意見を拝読しました。
本当に感謝申し上げます!
永源寺、本当に素敵なところですよね!
いつまでもお元気でお過ごしされますように!
^^

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