直井卓(諸職種協同センター課長・1等陸佐)|第38期・陸上自衛隊

その直井が陸上自衛隊に入隊したのは平成6年3月。

原隊(初任地)は髙田に所在する第2普通科連隊であり、冬季戦技に長けていることで知られる同精鋭部隊で、厳しい自衛官生活のスタートを切っている。

(画像提供:陸上自衛隊第20普通科連隊公式Webサイト

(画像提供:陸上自衛隊第20普通科連隊公式Webサイト

その後職種部隊では、「頭号連隊」の尊称を持つ東京練馬の第1普通科連隊でも指揮を執るが、以降は職種部隊からやや遠ざかり、平成29年8月の第20普通科連隊長上番までは中央などでの補職を繰り返す。

その中央(陸上幕僚監部)では、監理部、運用支援・情報部、人事部などで幅広く職務を経験した。

またスタッフや幕僚のポストでは、研究本部勤務や東部方面総監部では人事部長などの要職も歴任。

そして平成30年12月から、富士学校諸職種協同センターの総合研究課長に着任し、陸自大改革を形にするための大仕事に取り組んでいる。

なお、その直井の初任地である第2普通科連隊だが、新潟県上越市に所在するだけあり、自衛隊駐屯地の中でも屈指の豪雪地帯である。

そのため、第2普通科連隊の前身に相当する歩兵第58連隊では、雪中戦闘を特に鍛え上げ、冬季戦の先駆けとなった部隊として知られる。

日本に初めてスキーが伝えられたのも、実はその歩兵第58連隊とされていて、時に明治44年1月。

オーストリアのレルヒ少佐が伝えたとされ、同連隊が日本スキー発祥の地として認定されているほどだ。

そしてその伝統は今も引き継がれ、第2普通科連隊は冬季戦技で名を馳せ、あらゆる環境で機動力を発揮する精鋭部隊だ。

直井の自衛官生活は、そんな厳しい部隊からスタートしている。

なお、その歩兵第58連隊だが、最後の戦闘の地となったのは、悪名高いと言ってよいであろうインパール作戦。

終戦後、コヒマの地で武装解除されその姿を消してしまうこととなったが、冬季戦のエキスパートが何の因果で・・・。

では最後に、その直井と同期である38期組の人事の動向について・・・

見てみたいところなのだが、38期組は2019年夏の将官人事、つまりもう間もなく、最初の陸将補が選抜される予定の年次だ。

そのため2019年4月現在では同期のご紹介は割愛し、また将官人事が発令されてから加筆をしたいと思う。

直井については、陸自大改革の要となる諸職種協同センターで要職を任され、未来のグランドデザインを託されたほどの幹部だ。

今後もさらに、陸自大改革を形にするべく関連部署で力を尽くしていってくれることになるのではないだろうか。

いずれにせよ、第38期組はこの先2020年代後半にかけて、我が国の国防を中心になって担っていく世代である。

その活躍には今後も注目し、そして応援していきたい。

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。

(画像提供:陸上自衛隊第20普通科連隊公式Webサイト

◆直井卓(陸上自衛隊) 主要経歴

平成
6年3月 陸上自衛隊入隊
6年10月 第2普通科連隊(髙田)
13年8月 幹部学校(目黒)
15年8月 富士学校(富士)
16年4月 中央業務支援隊(市ヶ谷)
17年8月 第1普通科連隊(練馬)
19年3月 陸上幕僚監部監理部(市ヶ谷)
20年8月 陸上幕僚監部運用支援・情報部(市ヶ谷)
23年4月 陸上幕僚監部人事部(市ヶ谷)
25年3月 研究本部(朝霞)
26年3月 幹部学校(目黒)
26年7月 1等陸佐
26年10月 統合幕僚学校(目黒)
27年4月 研究本部(朝霞)
27年8月 東部方面総監部人事部長(朝霞)
29年8月 第20普通科連隊長(神町)
30年7月 陸上自衛隊富士学校(富士)
30年12月 陸上自衛隊富士学校諸職種協同センター総合研究課長(富士)

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