その新宅が陸上自衛隊に入隊したのは昭和62年3月。
中央で勤務するべき時間の多くを海外で過ごした印象のキャリアになっているが、現場指揮官としては、高射特科の現場を数多く歴任している。
(画像提供:自衛隊岩手地方協力本部公式Webサイト)
中でも印象深いのは、やはり平成21年12月から務めた、第5高射特科群長(八戸)のポストであろうか。
新宅はこの特科群長のポストにあった時に、あの未曾有の大災害である東日本大震災を経験。
震災の発生を受け直ちに隷下部隊をまとめ、震災の中でももっとも被害の大きかった地区の一つ、岩手県の大槌町に入り、直ちに人命救助に着手した。
その被害の余りの大きさゆえに、人命救助は非常な困難を極め、また震災復興も極めて難しい仕事となったが、新宅以下第5高射特科群の精鋭たちは献身的な活動で大槌町の再建と復興に尽力。
その活動は多くの町民の心を打ち、撤収が決まった日には、同町のふれあい運動公園野球場に多くの町民が集まり、盛大なセレモニーが開催されることになった。
この時、新宅も花束を受け取り、また”小さな戦士”からかわいい敬礼を受けるなど、町民たちから全幅の信頼を勝ち取った自衛官の皆様の姿が、同町の公式Webサイトで確認できる。
著作権の関係で画像を貼れないのが残念だが、新宅もとても若く、また少し肉付きが良いのが印象的だ。
新宅自身も非常に思い出深い任務になったと思うが、それにしてもインドに行きアメリカに行き、またインドに戻り・・・
帰国するや未曾有の国難で大活躍するなど、本当に新宅の自衛官生活は、重要な任務に忙殺され続けた30年であったかも知れない。
そして、それはとりもなおさず、自衛官として任される、非常に数多くの任務を経験したということでもある。
その知見を若者に話し、また自衛隊の魅力を伝える地方協力本部長のポストは、これ以上はない適任ではないだろうか。
きっとこれまで以上に忙しく、さらに充実した任務の日々を送っているのではないだろうか。
では最後に、その新宅と同期である31期組の人事の動向について、簡単に触れておきたい。
31期組は、2018年夏の将官人事で最初の陸将が選抜された年次にあたる。
そして2019年4月現在、その陸将の人にある幹部は以下の通りだ。
竹本竜司(第31期)・第1師団長(2018年8月)
沖邑佳彦(第31期)・第4師団長(2018年8月)
前田忠男(第31期)・第7師団長(2018年8月)
原田智総(第31期)・陸上総隊司令部幕僚長(2019年4月)
※肩書はいずれも2019年4月現在。( )は陸将昇任時期。
以上のような状況になっており、まずはこの4名が31期組1選抜として名乗りを上げた形だ。
いずれも近い将来の陸上幕僚長候補として遜色のない将星ばかりであり、その活躍がとても楽しみである。
新宅については、これほどあらゆることを経験してきたキャリアの幹部である。
あるいは後職では、情報系や陸上総隊などの要職に抜擢されることもあるのではないだろうか。
あらゆる意味でその活躍がとても楽しみであり、今後の動向にはますます注目し、そして応援していきたい。
※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。
(画像提供:自衛隊山梨地方協力本部公式Webサイト 地本便り2018年5月号)
◆新宅正章(陸上自衛隊) 主要経歴
昭和
62年3月 陸上自衛隊入隊(第31期)
平成
10年3月 檜町駐屯地業務隊付・電通出向
11年3月 陸幕監理部総務課広報室(檜町・市ヶ谷)
13年3月 中央資料隊付(インド国防幕僚大学)
14年8月 米中央軍連絡官(米国)
16年6月 在インド防衛駐在官(ニューデリー)
19年7月 陸幕監理部総務課渉外班長(市ヶ谷)
21年12月 第5高射特科群長(八戸)
24年4月 陸幕監理部総務課情報公開・個人情報保護室長(市ヶ谷)
26年8月 防衛研究所主任研究官(目黒)
27年8月 陸上自衛隊幹部学校主任教官(目黒)
27年12月 小平学校総務部長(小平)
30年3月 自衛隊山梨地方協力本部長
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