その福田が海上自衛隊に入隊したのは平成2年3月。
1等海佐に昇ったのが平成21年1月、海将補に昇ったのが27年8月であったので、共に34期組1選抜(1番乗り)となるスピード出世だ。
(画像提供:海上自衛隊公式ツイッター)
(画像提供:統合幕僚監部公式Webサイト)
なお突然の余談だが、福田についてはカッコいいよりすぐりの写真を厳選し、とてもイケてる、シーマンシップに溢れた海上自衛官としてご紹介している。
しかし実は、その出身は大阪で、なおかつ下町の八尾の育ちである。
そのため普段はかなりイケイケな大阪人であり、海自の中でも「イケイケの兄ちゃん」と言われていた時期もあったようだ。
しかし、そんなイケイケの兄ちゃんも、さすがに統幕長の前ではカチカチに見える・・・。
上記写真2枚めは、先述の第151連合任務部隊の司令官職を無事完遂し、統幕に任務完了の申告をする際の福田の様子だ。
左側は、言わずと知れた前統幕長で長く自衛隊のラスボスとして君臨した河野克俊(第21期)。
奥に見える左側は、当時の統合幕僚副長で、2019年8月に陸上総隊司令官のポストで勇退をされた住田和明(第28期)である。
ちなみに、その右に立つ背広組の方も、統合幕僚監部の統括官という要職にあった東大出身の最高幹部なのだが。。
どうにも制服組に比べて、凛々しさが足りないと言えば言い過ぎだろうか。
話を福田に戻す。
1選抜で1佐に昇った福田は、海自の水上艦艇幹部らしいエリートコースを歩み続ける。
洋上勤務では、第8護衛隊司令、第4護衛隊群司令を歴任し、その間に第151連合任務部隊の司令官職やインド太平洋方面派遣訓練の指揮官ポストも経験。
中央(海幕)では、防衛課の要職や教育課長などを歴任し、また地方隊では大湊地方総監部の幕僚長を務めるなど、極めて充実したポストを数多く経験してきた幹部だ。
そして統合幕僚監部の幹部を任され、全軍を俯瞰するポストでますます重い責任を担っている。
その動向が非常に注目される、最高幹部の一人である。
では最後に、その福田と同期である、34期組の人事の動向について見てみたい。
34期組は2015年に最初の将補が選抜された世代であり、2021年に最初の海将が選抜される事になっている。
そして2019年9月現在、その海将補のポストにあるのは以下の幹部たちだ。
福田達也(第34期)・統合幕僚監部防衛計画部副部長(2015年8月)
大町克士(第34期)・幹部学校副校長(2015年8月)
泉博之(第34期相当)・統合幕僚学校副校長(2015年12月)
伊藤秀人(第34期)・海上自衛隊補給本部副本部長(2016年7月)
江川宏(第34期)・第1護衛隊群司令(2016年12月)
大西哲(第34期)・第31航空群司令(2016年12月)
※肩書はいずれも2019年9月現在。( )は海将補昇任時期。
※2019年夏の将官人事の昇任将補については、期別未確認なので追記する可能性あり。
上記のような状況になっており、まずは水上艦艇からは福田が、航空部隊からは大町が1選抜前期(1番乗り)で、最初の海将補に選抜されている。
おそらく2021年の34期海将人事でも、この2名を中心に、最高幹部人事が進められることになるのではないだろうか。
福田については、全軍を俯瞰する現職を経験した後にどのようなポストに異動になるのか、要注目だ。
今後も、34期組の海上幕僚長最有力候補として、中央(統幕・海幕)や地方隊で、最も重いポストを担っていくことになるだろう。
いずれにせよ、34期組は2020年代前半にかけて、我が国の平和と安全を中心になって担っていく世代である。
その動向には特に注目し、そして応援していきたい。
※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。
(画像提供:海上自衛隊公式ツイッター)
◆福田達也(海上自衛隊) 主要経歴
平成
2年3月 海上自衛隊入隊(第34期)
13年1月 3等海佐
16年7月 2等海佐
17年3月 海上幕僚監部防衛課
19年3月 あまぎり艦長
20年3月 統合幕僚監部計画課
21年1月 1等海佐
22年7月 海上幕僚監部防衛課
23年8月 海上幕僚監部防衛課防衛班長兼幹部候補生学校
24年7月 第8護衛隊司令
25年9月 海上幕僚監部教育課長
27年8月 大湊地方総監部幕僚長 海将補
28年7月 第4護衛隊群司令
29年3月 第151連合任務部隊司令官
29年7月 第4護衛隊群司令
30年12月 統合幕僚監部防衛計画部副部長
第4護衛隊群司令時の福田海将補の面白トークがYouTubeにアップされてますので是非ご覧下さい。気さくな人柄が溢れでてます。
おぉ!ありがとうございます!
後から拝見させていただきますね。
本当に、福田さんは愛すべき海上自衛官だと思います。
統合幕僚監部『総括官』です。
懐かしき福田達也さん。
私が初めて会った時は、護衛艦あやせで水雷士をやっておられた頃でした。
その後、術科学校に行き、pko派遣に私が行っている間、二等海尉に昇進され、護衛艦たちかぜの水雷長をやっておられましたね。
私の除隊後も横須賀中央駅前でお声がけしてくださったこと今でも鮮明に覚えております。
将補にまでなられたのですね…
雲の上の方になられて泣
また、いつかお会いできれば、そして、その元気で楽しい関西弁で盛り上がりたいものです!
元たちかぜ海士長
引野勝己
引野様
おぉ、福田将補とご一緒に乗艦されていたのですね。
お疲れさまでした!
福田将補、もしかしたら海幕長まで昇られてしまうかもしれませんね。
その際はまた、どうぞ懐かしい思い出話でもお聞かせ下さい。
コメント頂きまして、ありがとうございました!