【退役】西浩徳(にし・ひろのり)|第28期・陸上自衛隊

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西浩德は昭和35年6月生まれ、熊本県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第28期の卒業で幹候65期、出身職種は判明しないが、おそらく普通科と思われる。

なお名前の正しい表記は浩德だが、德の字が旧字体であり、環境によっては文字化けする可能性があることから、表題の名前を浩徳と記している。

 

平成30年3月(2018年3月) 陸上自衛隊幹部学校長兼ねて目黒駐屯地司令・陸将のポストを最後に退役することが決まった。

前職は第1師団長であった。

 

スキンヘッドの愛されキャラ、西浩徳陸将の退役が決まってしまった。

退役日は2018年3月27日。

東京で桜の満開が予想されている頃合いであり、わずかに散り始めたソメイヨシノの下で、40年近くに渡り奉職してきた自衛隊を去ることになる。

 

連隊長は、極寒の北海道の中でも更に冷え込む内陸部、滝川駐屯地の第10普通科連隊で。

その後、第13旅団長を経て、伝統と栄光の頭号師団長を務め、陸上自衛隊幹部学校長が最後の補職となった。

10年後、20年後の日本を支える後進のエリートたちを育てる最後の大役をこなせた今、西の胸中にはきっと、「やりきった感」が去来していることだろう。

 

本当にお疲れ様でした。

ありがとうございました。

退役の日が、抜けるような青空の下でありますように。

美しい桜の華が、満開でありますように。

 

【以上、2018年3月21日追記。】

※以下は2018年2月7日までに記してきた記事であり、最新の情報を反映していない。

 

着帽しているのでわかりにくいが、西は丸坊主・・・というよりもはやスキンヘッドであり、大胸筋が厚いガッチリした体型だ。

つまり、ガッチリした体型でスキンヘッドの男が迷彩服を着て歩ているのである。

駐屯地内でこそ不審者扱いされることはないが、地元市長への着任挨拶などで市役所を訪れる際などは、かなりの迫力になりそうだ。

(おそらく何度も職質されてるのではないだろうか・・・)

 

さてその西は第28期組のトップエリートであり、陸将まで昇り詰めた最高幹部だ。

2018年2月現在で陸上自衛隊幹部学校長を務めるなど、そのキャリアは極めて充実しており、国防の最前線で我が国の安全保障を担い続けてきた。

 

どのポストをとっても特筆されるべきものばかりだが、敢えて一つ挙げるなら、やはり頭号師団長(第1師団長)のポストだろうか。

 

西の連隊長以降のキャリアを見ると、連隊長職は第10普通科連隊(北海道滝川市)。

滝川駐屯地は北海道の内陸にあり、西岸の守りの要である留萌駐屯地の東、道北の最前線である名寄の南、北海道の政経中枢都市である札幌の北に位置する。

そのため、留萌・名寄の両駐屯地どちらにもバックアップにつく任務に加え、札幌もバックアップ可能な場所に位置することから、北海道らしい充実した装備と陣容を誇りつつ、機動力も重視した部隊編成が特徴だ。

その後も、中央即応集団副司令官、第13旅団長と、軽武装高機動力を活かした部隊での指揮官を経験した上で、我が国の政治経済の中心を守護する、頭号師団の師団長に着任した。

 

このキャリアから見えることは、西については機動戦闘のスペシャリストであり、21世紀の我が国において特に重視される、対ゲリコマ戦闘に特に強みを発揮する指揮官ということだろうか。

ゲリコマ戦闘は、防衛白書においては「ゲリラや特殊部隊による攻撃」として定義されており、少人数による都市重要施設や要人を標的とした攻撃または破壊工作だ。

我が国の防衛力及び安全保障環境においては、自衛隊の精強さに加えアメリカ軍との緊密な関係を維持していることから抑止力が機能しており、直ちに正面戦闘が生起することは想定できない。

一方で、このような環境においては、敵性勢力は少人数のゲリラ(不正規軍)や特殊部隊(正規軍)を日本国内に潜入させ、都市部に混乱を引き起こし、あるいは要人を暗殺した上で社会不安を高める攻撃に出る可能性が高まる。

その為、2000年代に入り自衛隊は繰り返し陸上自衛隊の再編に着手し、即応能力を高めた軽武装高機動部隊の機能を強化している。

その集大成とも言える再編が、いよいよ2018年に一つの再編完了を迎えることになっているが、西はこの再編途上の陸自において、常にその中心にあった最高幹部と言って良いだろう。

これら陸自大改革の中心で活躍し続けた男が、その集大成として次世代の幹部を育成する責任者たる幹部学校長に着任したことになるが、非常に頼もしい限りだ。

 

 

さて次に、西を含む28期組の人事の状況についてみてみたい。

西が陸上自衛隊に入隊したのは昭和59年3月。

元々は社会科教師になろうと一般大学への進学を考えていたものの、友人に誘われ防衛大学校を受験したのが、自衛官になったきっかけだった。

両親も全面的に賛成し、西自身も防衛大学校での生活を「楽しくて性に合っている」と感じたというからかなりの  変わり者  熱い男だったのだろう。

在学中にどんどん国防への思いが強まり、その人生を国防に捧げることを決意した。

 

その後順調に出世を重ねた西だったが、1等陸佐に昇ったのが平成15年1月なので、28期組1選抜(1番乗り)のスピード出世だ。

陸将補に昇ったのが23年4月、陸将に昇ったのが28年3月なので、それぞれ同期1選抜から1年9ヶ月、7ヶ月の遅れということになる。

陸将補への昇任こそ2年近く遅れたものの、陸将補をわずか4年11ヶ月で駆け抜け陸将に昇ったことから、中央即応集団副司令官、北部方面総監部幕僚副長、第13旅団長としての働きが特に目覚ましかったということなのだろうか。

堂々の、陸将への昇任であった。

 

なお2018年2月現在、その西とともに陸将にある28期の最高幹部は以下の者たちだ。

 

岸川公彦(第28期)・中部方面総監 施設科出身(2015年8月)

湯浅悟郎(第28期)・西部方面総監 普通科出身(2015年8月)

住田和明(第28期)・東部方面総監 高射特科出身(2015年8月)

田浦正人(第28期)・北部方面総監 機甲科出身(2015年8月)

西浩德(第28期)・幹部学校長 普通科出身(2016年3月)

岩谷要(第28期)・陸上自衛隊研究本部長 施設科出身(2016年7月)

甲斐芳樹(第28期)・第10師団長 普通科出身(2017年8月)

※肩書は全て2018年2月現在。( )は陸将昇任時期。

 

上記のような状況になっており、28期組の陸上幕僚長候補レースは余程のことがない限り、岸川、湯浅、住田、田浦の4名に絞られたと見て間違いないだろう。

中でも住田か、あるいは岸川のどちらかになるものと予想している。

陸上自衛隊は、海空に比べ幕僚長の若返りと世代交代が早く進んでいるので、27期組の陸幕長である山崎幸二(第27期)の後任は、28期組から選ばれる可能性が高い。

その際には、この両名のいずれかが選ばれると思われ、その交代時期はおそらく2年以内だ。

要注目の世代である。

 

西については、2番手で陸将に昇任するスーパーエリートであったが、陸自では1選抜で陸将に昇ることが、ある意味で陸幕長への必須条件だ。

そのため陸幕長に届くことは無いと思われるが、ある意味においてそれ以上に名誉である、次世代リーダーの教育を任される幹部学校長を務めることになった。

その仕事ぶりは今後、10年20年というスパンで我が国の国防に影響を与えうる極めて重要なポストであり、陸幕長とは違う意味で、あらゆる能力に秀でている者にしか務まらない仕事となる。

 

或いはこれが最後の補職になる可能性もあるが、西が担うのはそれほどの重責であり、自衛隊内外の西に対する期待は極めて大きい。

今後ともその活躍には注目し、そして応援していきたい。

 

本記事は当初2017年8月28日に公開していたが、加筆修正が重なったので2018年2月7日に整理し、改めて公開した。

 

◆西浩德(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
59年3月 陸上自衛隊入隊(第28期)

平成
7年1月 3等陸佐
10年1月 2等陸佐
15年1月 1等陸佐
15年8月 幹部学校付
16年7月 陸上幕僚監部教育訓練課教育班長
18年8月 第10普通科連隊長兼ねて滝川駐屯地司令
20年3月 統合幕僚監部計画課長
23年4月 中央即応集団副司令官 陸将補
25年8月 北部方面総監部幕僚副長
27年8月 第13旅団長
28年3月 第1師団長 陸将
29年3月 陸上自衛隊幹部学校長兼ねて目黒駐屯地司令

 

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 第13旅団公式Webサイト(着任式画像)

http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/13b/news20150804bcg.html

防衛省陸上自衛隊 第1師団公式Webサイト(離任式画像)

http://www.mod.go.jp/gsdf/eae/1d/

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