岩村公史(第9師団長・陸将)|第29期・陸上自衛隊

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その岩村が陸上自衛隊に入隊したのは昭和60年3月。

1等陸佐に昇ったのが平成16年1月であったので、29期組1選抜のスピード出世であった。

原隊(初任地)は福島に所在する第44普通科連隊であり、同部隊の小隊長として、厳しい自衛官生活のスタートを切った。

(画像提供:陸上自衛隊第9師団公式Webサイト

(画像提供:陸上自衛隊第9師団公式Webサイト

その後職種部隊では、多くの幹部自衛官が思い出深いポストとして語ってくれる中隊長ポストを、我が国の精鋭中の精鋭・第1空挺団普通科群第3中隊で経験。

連隊長には、第12普通科連隊長兼ねて国分駐屯地司令で上番している。

陸将補時代には、中央即応集団の副司令官の他、第1空挺団長兼ねて習志野駐屯地司令を務めているのは先述のとおりだ。

またその間、中央(陸上幕僚監部)では人事部人事計画課の企画班総括、防衛部防衛課の編成班長、同じく防衛科の防衛調整官など要職を歴任。

各地の幕僚やスタッフポストでは、研究本部研究員、西部方面総監部防衛部長、富士学校副校長も経験している。

特筆するべきはその海外経験であり、ゴラン高原国際平和協力隊UNDOFでは先任兵站幕僚を、イラク復興支援隊では隊長を経験した他、海外留学先は米国海兵隊の指揮幕僚大学である。

そして平成29年8月、”空中機動旅団”、第12旅団長として活躍をした後、30年8月には陸将に昇任し、第9師団長として活躍している。

絵に描いたようなエリート自衛官であり、また絵に描いたような猛将型の指揮官である。

 

ところで、この場をお借りして一つ。

読者の皆様に思い出して頂きたいことがあるので記しておきたい。

岩村が第12旅団長を務めていた2018年1月23日のことだ。

 

この日午前、群馬県の北西部にある草津白根山が突然噴火を起こしました。

この突然の噴火では、火口付近で雪中訓練にあたっていた第12旅団隷下、第12ヘリコプター隊に所属する自衛官の多くが巻き込まれ、1名が死亡するという極めて痛ましい事態となりました。

そしてこの時に殉職をされたのは、まだ49歳の若さであった伊澤隆行・3等陸尉(殉職により2階級特別昇任)。

並外れた強靭な肉体と精神力を誇り、2014年に発生した御嶽山での噴火災害では先頭に立って救助活動を行ったのもこの第12ヘリコプター隊でしたが、その精鋭部隊の現場を中心になり支え続けてきた伊澤3尉の殉職に改めて、心からの哀悼の意を捧げるものです。

 

国防に対する献身的な活躍。

いかなる状況にも冷静沈着に対応されて、数多くの災害現場で多くの国民の命を救われた類まれな勇気と高潔な志。

その自衛官人生に心からの感謝を捧げ、ご冥福をお祈り申し上げます。

 

なお読売新聞の報道に依ると、伊澤3尉は、負傷し動けなくなった部下を庇うためその体に覆いかぶさり、その背中を噴石が直撃して致命傷を負われたことが、直接の死因になったそうです(2018年1月25日付読売新聞Web版)。

そして伊澤3尉に守られ、軽傷で済んだ部下が直ちに被害状況を把握し現場を掌握すると、ふもとで待機する別班に連絡。

民間人を含むスムーズな救助活動に繋がったというのが、読売新聞が報じている事故の詳報でした。

 

この報道が事実であれば、伊澤3尉は、身を挺してかばった部下、一時重体に陥った別の2名の隊員の命を救ったことはもちろん、民間人の命をも、その勇気ある行動で救ったことに疑いの余地はありません。

自らの命をかけ、多くの部下と民間人の命を救った伊澤3尉の勇気。

打算なく、ただ純粋に人の命に対して心からの敬意を持ち、いったん事が起これば身を挺してでも自らの使命と信じることに身を投じる高潔な魂。

改めて、我が国を守る自衛官はこんなにも凄い存在であると。

伊澤3尉の殉職は、強烈なメッセージとなって国民の心に残り続けることでしょう。

 

改めまして、伊澤3尉とその誇りあるご家族の皆様に、心からのお悔やみを申し上げます。

そしてご家族様には、自衛官のご家族として、その任務を支え続け共に戦って来られた人生に対しても、併せて感謝と敬意を表します。

 

「家族との時間を大事にする」ことを何よりも推奨し、「個人の幸せ」をその指導方針とする岩村陸将補(当時)が旅団長であった時に、その隷下部隊でこのような事故が起きたこと、本当に残念でなりません。

今はただ、伊澤3尉のご冥福と残されたご家族のご多幸を、心からお祈り申し上げるばかりです。

 

伊澤3尉の生前のご活躍に、改めて心からの敬意と感謝を申し上げます。

本当に有難うございました。

どうか読者の皆様も、この出来事を風化させること無く、折につけ、思い出して頂ければと希望します。

 

話を元に戻す。

最後に、その岩村と同期である29期組の人事の動向について見てみたい。

29期組の将官は、一部で既に勇退も始まっている年次であり、今まさに、我が国の平和と安全に最も重い責任を担っている世代だ。

そして2019年2月現在で、29期組で陸将に在るのは以下の最高幹部となっている。

 

上尾秀樹(第29期)・東北方面総監(2016年7月)

高田克樹(第29期)・東部方面総監(2016年7月)

本松敬史(第29期)・統合幕僚副長(2016年7月)

納富 中(第29期)・防衛大学校幹事(2016年7月)

柴田昭市(第29期)・防衛装備庁長官官房装備官(2017年3月)

山内大輔(第29期)・陸上自衛隊補給統制本部長兼ねて十条駐屯地司令(2017年3月)

清田安志(第29期)・第6師団長(2017年8月)

岩村公史(第29期)・第9師団長(2018年8月)

権藤三千蔵(第29期)・陸上自衛隊関東補給処長兼ねて霞ヶ浦駐屯地司令(2018年8月)

※肩書はいずれも2019年2月現在。( )は陸将昇任時期。

 

以上のようになっており、あくまでも2019年2月現在での状況だが、29期組からは上尾と高田の2名が先に方面総監に着任し、一歩抜け出した形になっている。

ただ、本松と納富もまだまだ、方面総監に着任する可能性があり、またそうなると陸上総隊司令官に着任する可能性もあるなど、この4名はほとんど差がないと考えてよいだろう。

 

岩村については、29期という年齢を考えればあるいは現職が、長かった自衛官生活の最後のポストになるかも知れない。

その一方で、キャリアから考えると陸上総隊の副司令官ポストとしてもうひと暴れする可能性も考えられるなど、まだまだ注目を集める幹部ということになりそうだ。

いずれにせよ、今まさに我が国の国防を担う、存在感のある最高幹部の一人であることは間違いがないところだ。

その活躍には今後も注目し、そして応援をしていきたい。

 

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。

(画像提供:陸上自衛隊第9師団公式Webサイト

◆岩村公史(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
60年3月 陸上自衛隊入隊(第29期)
60年9月 第44普通科連隊小隊長、運用訓練幹部

平成
4年3月 富士学校普通科部戦術教官
5年8月 幹部学校付第39期指揮幕僚課程学生
7年8月 化学学校教育部運用教官
8年1月 3等陸佐
9年1月 陸上幕僚監部防衛部付
9年1月 ゴラン高原国際平和協力隊UNDOF先任兵站幕僚
10年3月 第1空挺団普通科群第3中隊長
11年7月 2等陸佐
12年3月 米国海兵隊指揮幕僚大学学生
13年8月 陸上幕僚監部人事部人事計画課企画班総括
15年4月 兼内部部局人事教育局人事第1課
16年1月 1等陸佐
16年3月 陸上自衛隊研究本部研究員
17年1月 イラク復興支援隊長
17年12月 陸上幕僚監部防衛部防衛課編成班長
20年4月 第12普通科連隊長兼国分駐屯地司令
21年3月 陸上幕僚監部防衛部防衛課防衛調整官
22年3月 西部方面総監部防衛部長
24年7月 中央即応集団副司令官 陸将補
25年12月 第1空挺団長兼習志野駐屯地司令
27年8月 富士学校副校長
29年8月 第12旅団長
30年8月 第9師団長 陸将

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