その牛島が陸上自衛隊に入隊したのは平成元年3月。
原隊(初任地)は今の第1地対艦ミサイル連隊にあたる第125特科大隊であり、地対艦ミサイル部隊を率いる野戦特科の幹部として、そのキャリアを歩み始めた。
(画像提供:陸上自衛隊第1特科団公式Webサイト)
しかしその地対艦ミサイル部隊指揮官としての環境は、必ずしも順風満帆なものではなかった。
というのも、2018年9月現在の安全保障環境でこそ、地対艦ミサイル部隊は極めて強力な抑止力として認知されているが、かつてそうではなかった時代があるからだ。
時は2005年の小泉政権の時代。
この頃、どのような安全保障環境の分析と将来予想に基づいた考え方であったのか、極めて不可解な話だが、地対艦ミサイルの有用性を過小評価した中期防衛計画が策定される。
具体的には、当時6つ存在した地対艦ミサイル連隊を段階的に縮小・廃止し、連隊の数を最終的に3つまで削減する計画が立案され、実際に実行に移されることになってしまった。
そしてこの計画に基づき、宇都宮に所在していた第6地対艦ミサイル連隊は実際に、縮小ではなく完全に消滅している。
そして牛島は、幹部自衛官にとってもっとも思い出深いポストの一つである中隊長職を、この第6地対艦ミサイル連隊で経験した。
おそらく、その職種を預かる幹部として非常に無念であり、また政治家の不見識や将来ビジョンのなさに、大きく失望していたのではないだろうか。
どう考えても、専守防衛を国是としている我が国にとって、この兵科は安全保障の骨幹ともなる、無くてはならない装備だ。
その心中を思うと、物言わぬ自衛官の怒りに、国民の一人としてそのような政策を許してしまったことを、申し訳なく思う。
私たち国民は、例え支持政党の構成する政府であっても、個別の政策にはもっともっと、声を上げていかなくてはならない。
なお余談だが、この時に防衛予算の縮小を担当した財務省主計局の担当者は現在、自民党で有力と言われる女性議員の一人になっている。
幸いにしてその後、この誤った政策は、安倍政権の下で直ちに改められたが、それでも国防に与えた負の影響は甚大だ。
その決断に関わったキーパーソンの一人が、なんらその責を受けずに政治家として活動していることには、大きな違和感を持たざるを得ない。
話を牛島に戻す。
中隊長ポストを経験した部隊を既に失ってしまった牛島だが、その後は陸上幕僚監部や研究本部など、中央での補職が続く。
職種部隊の指揮官としては、平成20年に帯広の第5特科隊長を務めているが、その他のキャリアの多くは中央での総務・人事系のポストだ。
しかし、時代は再び牛島の、地対艦ミサイル部隊指揮官としての経験・知見を必要とする環境になったことは、ご存知のとおりだ。
平成30年3月に西部方面特科隊長に着任し、10年ぶりとなる職種部隊に戻ってきた。
おそらく、この間の地対艦ミサイル部隊を巡る環境の変化を考えると、相当気合が入っているのではないだろうか。
ぜひ、その活躍には大いに注目して欲しい。
では最後に、その牛島と同期である33期組の動向について見てみたい。
第33期組は2014年に最初の陸将補が選抜され、2020年に最初の陸将が選抜される予定になっている年次だ。
そして2018年8月現在で、以下の幹部たちが陸将補の任にあたっている。
冨樫勇一(第33期)・陸上幕僚監部人事教育部長(2014年8月)
山根寿一(第33期)・第13旅団長(2014年8月)
牛嶋築(第33期)・東北方面総監部幕僚長兼ねて仙台駐屯地司令(2014年8月)
末吉洋明(第33期)・陸上幕僚監部運用支援・訓練部長(2014年8月)
廣惠次郎(第33期)・陸上幕僚監部指揮通信システム・情報部長(2015年3月)
児玉恭幸(第33期)・陸上幕僚監部監察官(2015年8月)
梅田将(第33期相当)・大阪地方協力本部長(2015年12月)
酒井秀典(第33期)・第1ヘリコプター団長兼ねて木更津駐屯地(2016年3月)
宮本久徳(第33期)・第1高射特科団長(2016年12月)
堀江祐一(第33期相当)・陸上自衛隊高等工科学校長兼ねて武山駐屯地司令(2017年3月)
楠見晋一(第33期)・中央情報隊長兼ねて陸上総隊司令部情報部長(2017年8月)
更谷光二(第33期)・東北方面総監部幕僚副長(2018年3月)
※肩書はいずれも2018年8月現在。( )内は陸将補昇任時期。
※2018年8月の将官人事で昇任した幹部の確認が未了のため、加筆する可能性あり。
以上のような状況になっており、まずは富樫、山根、牛島、末吉の4名が中心になって、33期組の最高幹部人事は進んでいくことになるだろう。
牛島については、今まさに我が国が必要している職種を知り尽くす、国防の要として活躍するべき幹部だ。
あるいは先述の予想通り、西部方面特科連隊と西部方面特科隊が再編され一つの部隊になった時には、この新しい大部隊を任されるような、大きな仕事を担っていくことになるのではないだろうか。
その活躍は非常に楽しみであり、これからも目を離さず注目を続け、そして応援していきたい。
※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。
(画像提供:陸上自衛隊第5旅団公式Webサイト 東北海道だより2008年12月号)
◆牛島弘樹(陸上自衛隊) 主要経歴
平成
元年3月 陸上自衛隊入隊(第33期)
元年 月 第125特科大隊(北千歳)
4年3月 第1地対艦ミサイル連隊(北千歳)
年 月 幹部学校付学生(目黒)
年 月 富士学校(富士)
年 月 第12特科連隊付(宇都宮)
年 月 第6地対艦ミサイル連隊中隊長(宇都宮)
年 月 陸上幕僚監部運用支援課(市ヶ谷)
年 月 陸上幕僚監部人事教育計画課(市ヶ谷)
年 月 幹部学校付学生(目黒)
年 月 幹部学校教官(目黒)
20年12月 第5特科隊長(帯広)
22年3月 中央即応集団報道官(朝霞)
年 月 研究本部研究員(朝霞)
年 月 陸上幕僚監部給与室長(市ヶ谷)
年 月 幹部学校総務部長(目黒)
年 月 北部方面総監部総務部長(札幌)
30年8月 西部方面特科隊長兼ねて湯布院駐屯地司令(湯布院)
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