関谷拓郎(派遣海賊対処行動支援隊司令・1等陸佐)|第32期・陸上自衛隊

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その関谷が陸上自衛隊に入隊したのは、実は15歳の春である昭和56年4月。

今はなき少年工科学校(現・高等工科学校)の27期生であり、以来38年にわたり自衛官を続けている、超がつくベテランである。

(正確には、防衛大学校在学中は自衛隊員ではあるが自衛官ではない)。

そして少年工科学校を卒業し、防衛大学校に59年4月に入学。

昭和63年3月に陸上自衛隊幹部候補生学校に69期で入隊し、改めて自衛官生活のスタートを切った。

(画像提供:防衛省公式Webサイト

(画像提供:海上自衛隊公式フェイスブック

原隊は、鹿児島の国分駐屯地に所在する第12普通科連隊。

その後職種部隊では、富士学校普通科部でのレンジャー教官を経て、多くの幹部が思い出深いポストとして話してくれる中隊長を長崎県の大村駐屯地に所在する第16普通科連隊で経験。

また第1空挺団本部、中央即応集団などの精鋭部隊にも詰め、平成20年8月には我が国が誇る精鋭中の精鋭・第1空挺団の第3普通科大隊で大隊長に上番した。

また連隊長では一転、極寒の北海道・滝川駐屯地に所在する第10普通科連隊長に昇り、北の精鋭部隊を指揮している。

その間中央(陸上幕僚監部)では、防衛部研究科に加え、運用支援情報部では自衛艦隊司令部連絡官も務めている。

そして平成30年3月に陸上総隊司令部の運用部付として派遣部隊指揮官としての準備に入り、30年8月から派遣海賊対処行動支援隊の司令に着任して、猛暑のジブチに入り、厳しい任務をこなした。

まさに、闘魂の塊のような指揮官であり、少年工科学校の誇りとも言うべき高級幹部である。

 

ところでこのように自衛隊が海外に出る場合。

通常、その指揮官は1佐相当が率いるポストでは40代半ばまでの、若手の1佐が率いることが多い。

実際に関谷の前は、仏のような顔をして怒らすと絶対に怖いことは間違いないであろう、関谷よりも7つ年下の岩上隆安(第39期)が率いていた。

ニコニコしながら本気で激怒できそうな、感情を読み取れない雰囲気がある幹部である・・・。

関谷のように、着任時点で53歳になる1佐が海外派遣部隊を率いるというのは、結構レアなことなのではないだろうか。

 

なお余談ついでに、先述のように関谷は少年工科学校第27期の卒業だ。

少年工科学校は、やはり自衛官になろうという子供ばかりが集まってくる学校である。

上下関係が鉄の掟で絶対であり、特に昭和の時代は上級生が下級生をぶん殴るのはもはや課業の一部のようなものでった。

そのため卒業後も、当時の上級生が怖くて仕方がないという自衛官も多いようだが、27期である関谷に対し、1こ上の26期には、以下のような幹部がいる。

 

竹本竜司(第31期) 第1師団長・陸将(26期)

堀江祐一(第33期相当) 陸上自衛隊高等工科学校長・陸将補(26期)

 

工科学校当時、この辺りの幹部にはあるいは、  殴る蹴るの暴行  丁寧に指導してもらったのかも知れない・・・。

 

では最後に、その関谷と同期である32期組の人事の動向についてみてみたい。

32期組は、2019年夏の将官人事で最初の陸将が選抜される年次であり、2019年2月現在では、1選抜の幹部でも陸将補ということになる。

そしてその陸将補にある幹部たちは、以下の通りだ。

 

梶原直樹(第32期)・統合幕僚監部防衛計画部長(2013年8月)

大塚裕治(第32期)・陸上幕僚監部装備計画部長(2013年8月)

森下泰臣(第32期)・陸上幕僚監部防衛部長(2013年8月)

堀井泰蔵(第32期相当)・第5旅団長(2013年8月)

中村裕亮(第32期)・教育訓練研究本部副本部長兼ねて総合企画部長(2014年3月)

田尻祐介(第32期)・第12旅団長(2014年8月)

鬼頭健司(第32期相当)・陸上自衛隊幹部候補生学校長(2014年12月)

木口雄司(第32期)・高射学校長兼ねて下志津駐屯地司令(2015年8月)

腰塚浩貴(第32期)・施設学校長(2015年8月)

青木伸一(第32期)・水陸機動団長兼ねて相浦駐屯地司令(2015年12月)

池田頼昭(第32期)・第10師団副師団長兼守山駐屯地司令(2016年3月)

檀上正樹(第32期)・警務隊長(2017年3月)

小谷琢磨(第32期)・第4施設団長(2017年8月)

斎藤兼一(第32期相当)・第7師団副師団長兼ねて東千歳駐屯地司令(2017年12月)

叶謙二(第32期)・開発実験団長(2018年3月)

佐々木俊哉(第32期)・自衛隊情報保全隊司令(2018年3月)

岩名誠一(第32期)・東北方面総監部幕僚副長(2018年8月)

※肩書はいずれも2019年2月現在。( )内は陸将補昇任時期。

※2018年8月以降の将官人事で昇任した将補の期別は未確認のため、追記する可能性あり。

 

以上のようになっており、まずは梶原、大塚、森下、堀井の4名が1選抜で昇任し、同期の最高幹部人事の中心になっている状況だ。

2019年夏の陸将人事も、おそらくこの4名を中心に選抜が進められるのではないだろうか。

 

関谷については、中央即応集団に第1空挺団と精鋭部隊を渡り歩き、また今般、派遣海賊対処行動支援隊司令の大役を担い、その任務を完遂させた程の幹部である。

まずは、この3月にも出るであろう発令で、どのようなポストが用意されることになるのか。

楽しみに待ちたいと思う。

いずれにせよ、この先2020年代前半にかけて、ますます重い責任を担うことになるのは間違いのない関谷である。

その活躍にはますます注目し、そして応援していきたい。

 

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略

(画像提供:防衛省公式Webサイト

◆関谷拓郎(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
56年4月 少年工科学校入校(第27期)
59年4月 防衛大学校入学
63年3月 陸上自衛隊入隊(第32期)

平成
元年3月 第12普通科連隊(国分)
7年8月 富士学校普通科部レンジャー教官(富士)
8年8月 幹部学校CGS学生(目黒)
10年8月 第16普通科連隊中隊長(大村)
12年3月 陸上幕僚監部防衛部研究科(市ヶ谷)
13年3月 研究本部(朝霞)
15年3月 空挺教育隊(習志野)
15年8月 第1空挺団本部(習志野)
17年8月 中央即応集団(習志野)
19年8月 第1空挺団本部(習志野)
20年8月 第1空挺団第3普通科大隊大隊長(習志野)
22年3月 第9師団司令部第2部長(青森)
24年8月 陸上幕僚監部運用支援情報部・自衛艦隊司令部連絡官(市ヶ谷)
26年8月 第9師団司令部監察官(青森)
28年3月 第10普通科連隊長兼ねて滝川駐屯地司令
30年3月 陸上総隊司令部運用部付
30年8月 陸上総隊司令部運用部付兼ねて派遣海賊対処行動支援隊司令

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10件のコメント

関谷1佐が大村で中隊長の時お世話になりましたが厳しくもありましたが陸曹、陸士の意見もしっかり聞いてもらったり新年会を小隊単位でしかも1日で時間を決めてしてもらったり一番思い入れのある人です。

ひろっち様、大変貴重なコメントありがとうございます!
厳しそうなキャリアをお持ちの方ですが、どこか部下思いの優しさがお顔に出ている方であると思います。
次回の更新時に、中隊長時代のエピソードとして書かせて頂きます!
ありがとうございました。

初めまして。北川智則です。私は関谷と小学校から中学校までずっと同じクラスで勉強した幼なじみです。現在でもやり取りしています。拓郎は野球部でキャッチャーでした。

北川様

とても興味深いコメントをありがとうございます!
関谷さんの同級生でいらっしゃるのですね。
本当に、大きなお仕事をいくつもされてきた、素晴らしい幹部の一人だと思います。
広い視野は、キャッチャーとして活躍されたときから養われていたのかも知れませんね。
素晴らしい幼馴染みをお持ちで、羨ましく思います。
ぜひ、これからもますますのご活躍をお祈りしておりますと、どうぞお伝え下さい!

一年ぶりの投稿です。コロナ蔓延する中大変そうです。関谷もそろそろ現場から任務修了かな~✨また関谷の話し書きます。少工受験する。絶対無理✨まず願書取れない、担任は条件付けました。中間テストで一番になったら取る。三年生256人のトップ✨トップになったんですねぇ✨破天荒です。そんな拓郎、弁論大会でも…題名が ブスは死ね(笑)現在では考えられない題名❗️爆笑の渦✨全校生徒が大爆笑した記憶が思い出されます。私より身体能力有ったはずなのに、今考えるとわざと負けてくれた感✨仲間思いは、一番だった✨だから自衛隊の一番になった✨そんな拓郎を、誇りに思う✨

うへえw
なんか、表に出して良いのかどうか、すごいお話笑

ありがとうございました!

3年前、まだ第10即応機動連隊が普通科連隊だった時に
関谷一佐にお世話になりました。
消防勤務の時、関谷一佐が視察にきて、
短時間でしたが、色々お話をしました。
自分はその時、任期満了で退職を考えていて、
機械系の仕事に就くか、現場系の仕事に就くか
悩んでいました。
関谷一佐は親身になって話を聞いてくれて、
自分の中にあっためっちゃくちゃ怖いイメージが
一掃されました笑

あの時のことは今でも覚えております。
自分は現在、民間企業で働いておりますが、
関谷一佐からアドバイスを下さったことは
すごく役立っております。

ジョンテさま
とても心温まるエピソード、ありがとうございます!
関谷1佐が10普連長だった頃のお話ですね。
お人柄がうかがえるようで、私まで嬉しく思います。
今は民間でお仕事をされているとのこと。
任期満了、本当にお疲れさまでした。
そして新天地で、ますますのご活躍をお祈り申し上げております!

上記コメントのひろっちさんとは恐らく元同僚です
中隊長上番当時 夜間行進訓練で隠れもせず隠しもせず喫煙していた隊員を見て 履修前教育を担任した陸曹候補生に対し『情けないところを陸曹候補生所管の前で見せてしまい本当に申し訳ない』と謝罪 全員の前で激怒し それから中隊長を下番されるまで毎月行進訓練をしてました 正直なんでうちの中隊だけが毎月毎月と思ってましたが 戦える強い中隊を作りたかったのだと思います
ひろっちさんのコメントにもある時間分けの小隊ごとの宴会にも参加させていただきました
あの時食った猪鍋 今でも忘れてません
故あって中途退官しましたが 色んな中隊指揮官を見てきた中で 退官後も忘れられない本当に印象に残る中隊長でした
人格者であり 有能な指揮官です

匿名様、コメントありがとうございました!
関谷さん、本当に人格者であることが伝わってくるコメントが多いですね・・・。
貴重な思い出をありがとうございました!

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